二時間前から机に向かい続けている、くるくるした銀色の後頭部にそっと近付く。手の上に乗せたトレーが音を立てぬよう慎重に、そして彼の視線を独占する机へ影を落とした。
「……ん?」
「お疲れ様です、アズール」
「うわっ!?」
素晴らしい集中力を以って業務を遂行していた彼は、やっと顔を上げたその真横から差し出したティーカップに大袈裟なくらい驚いた。はねた肩を若干怒らせて振り向いたアズールは、いつも通りの疲労を感じさせない鋭い眼でジェイドを睨む。
「ジェイド……悪戯も大概にして下さい。増して仕事の邪魔をするなんて」
「おや、そんなつもりは無かったのですが。貴方の抜きん出た集中力も、時には考えものですね」
「白々しい事を……まぁ、いいですよ。ありがとうございます」
ふんと鼻を鳴らして、アズールは運んできた紅茶に口を付ける。あたたかい息をついて、それからソーサーに目をやった。
「これは……チョコレート?」
「はい、お疲れのご様子でしたので。たまにはいいでしょう。今日はハロウィーンですし」
「そういう問題じゃないんですが……まぁ、いいか……」
予想よりもすんなりと納得、というよりは思考をやめて、アズールはチョコレートの包みを手に取る。がさがさと袋を開けるのを上から覗き込んで、微笑む。
「トリックオアトリート、は言わないんですか?」
「……目の前にトリートを差し出された状態で? そんな不毛な」
ぽいっと口に甘い球体を放り込んだ。舌の上で転がしながら、軽く眉を顰める。夜中に甘味を摂取するのは抵抗があるのだろう。そんな風に分析しながら眺めていると、不機嫌そうな顔でアズールがジェイドを仰ぎ見る。
「何か言いたいことでも?」
「そうですねぇ、では……トリックオアトリート?」
「聞くんじゃなかった」
ただでさえ皺の寄った眉間を寄せて、アズールはポケットを探る。そして一つのキャンディの包みを取り出して、それを見もせずに差し出した。
「持ち歩いていたんですね」
「いつ聞かれるか分かりませんから。実際、役に立ちましたよ。残ってて良かったですね」
「ふふ、少し残念ですが。ありがたく頂戴します」
キャンディを受け取って手のひらで転がす。海のように鮮やかな青色の透明な飴玉だった。
しばらく転がしていると、紅茶を飲み終えたらしいアズールが振り向いた。ああ、と頷いてカップを回収しようとすると、伸ばした手を軽く握って止められる。
「……なんでしょう?」
「トリックオアトリート?」
「は?」
そのまま空の右手をジェイドへ差し出す。思わず声を上げると、真面目そうな顔をしていたアズールは、その様相を崩した。
「はははっ、どうしたんです? 早くどちらか選んで下さいよ……持っていれば、ですが!」
「……はぁ。本当にずるい人ですねえ」
虚をつけたのがよっぽど嬉しかったのか、高笑いしかねない笑みを浮かべるアズールに溜息をついた。それから、手の上に転がしていた飴玉から包みを剥がして口の中に放り込んだ。
「え、」
「では、どうぞ」
「いや、ちょっと待っ――」
楽しそうな顔を見るのは嫌いじゃないが、やはり悔しさが勝ったらしい。自らの心境を解析しながら、赤くなって慌てる彼の口に噛み付いた。
コメントを残す