『不変の純愛』なんて

 

 人通りのある往来を歩きながら、そこそこに重量のある紙袋を抱え直す。陶器の接触音をさせた中身に軽くひやりとする。
ラウンジ用に買い揃えた食器類は、アズールの並以上な拘りが籠っている。実家であるリストランテや視察先の店舗で見てきた高品質且つ実用的な、客足を伸ばすのに効果的なそれらを、納得のいくまで探すのは骨の折れる作業だった。不機嫌なフロイドの作り出した食器棚の空きを埋めるために毎度行っているこれを、アズールは正直面倒だと思っていた。更なる買い直しは御免である。罅が入っていない事を祈りつつ、紙袋を改めてそっと持ち直した。
 買い物の経緯を思い返したところで、そういえば、と回想する。無惨にも砕け散っていったのは皿とコップと、ほかに花瓶もあった筈だった。うっかり買い忘れてしまっていたが、店内の細やかな装飾は肝要である。帰り道を歩いていた足を止め、手近な雑貨屋を探す。
 きょろきょろと周囲を見回すアズールの目は、雑貨屋よりも先にひとつの看板を捉えた。『大切な人への贈り物を……』という文言と、綺麗な薔薇のドライフラワーが飾り付けられている。一際目を引いたそれに近付いてみると、どうやらフラワーショップの看板のようだった。例の花瓶が割れると同時に、当然挿していた花も散ってしまっていた事を思い、ついでに一本花を見繕う事にする。
 店頭に並ぶのは、贈り物の王道である薔薇にカーネーション、ガーベラといったは華やかな花々だ。ラウンジに飾る事を考えると、もう少し控えめな見た目が望ましい。そう思いながら棚に寄ると、花々の隣にガラス製の一輪挿しが陳列されている事に気が付いた。丁度いい、と手に取る。なかなか美しい細工がされていて、アズールの好みにも合致した。満足に頷き、改めてそれに合う花を探す。まず青色のデルフィニウム。大きすぎない花弁はラウンジの雰囲気に合う。横に並ぶ白のカスミソウも可憐な印象で悪くない。
 色々と吟味しつつ眺めていると、別の客を対応していた店員がアズールの方へやってきた。
「バレンタインデーのプレゼントでしょうか? でしたら、メッセージカード付きのブーケがおすすめですよ」
 柔和な微笑みを湛えた店員の女性は、手に持っていたブーケをアズールに差し出す。先ほどの客にも紹介していたのだろうと予想が付く。否定し対応を断ろうと思ったが、しかしブーケを受け取ってしまった。
 赤色の蕾、白色の小さな花々。可愛らしくまとまったブーケの中に、四角いメッセージカードが差し込まれている。
「こちらの蕾は薔薇、白いお花はスターチスです。恋人や家族への贈り物にぴったりで……」
 無言でブーケを見るアズールが検討していると考えたのか、店員はさらなるプロモーションを続けた。アズールはそれを聞きながら、昨日から顔を合わせていない幼馴染を脳裏に思い浮かべていた。
 今月に入って何度目か分からない食器の破損に怒りを呈したアズールと不機嫌の絶頂にあったフロイドを、ジェイドは苦笑混じりにいつも通り仲裁していた。ジェイドはフロイドの機嫌が悪い時、大抵彼の側から仲裁する。それが、昨日はどうにも気に食わず、「お前がちゃんと見ていなかったせいだ」と怒鳴ってしまった。今は冷静であり、それが理不尽であった事は十分理解している。そして彼は彼で、やられっぱなしになる性格ではない。表面上は謝罪して、それから「では明日からはフロイドの監視に専念します」と言い残し、本日はフロイド諸共、一切の姿をアズールの前へ現さなかった。
 こうして頭が冷えた今は、毛頭なかった謝罪する機会を欲していた。そして、それが手の中にある。アズールは嬉々として財布をポケットから取り出した。

 ◇

 学園の前まで戻ってきた瞬間、アズールは我に返ってブーケを背中に隠した。こんなものを持ち歩いている姿を見られたら、色々とまずい。妙な噂が立ってしまいかねない。今になって見れば、購入したブーケの可憐さに眩暈がした。相手が愛らしく可憐な少女であれば似合うだろうが、渡そうとしているのはあのジェイドだ。そもそも、いくら植物に興味があろうと、こんな下らないものに関心を持つはずがない。まして昨日の愚行を許すわけがない。それどころか、語彙を尽くして馬鹿にし嘲笑われるかもしれない。嫌すぎる妄想に脳内が支配され、アズールは深く溜息をついた。さっさと寮まで戻り、部屋へ隠してしまおう。そう決めると足速にメインストリートを通り過ぎた。
 学園の廊下をなるべく目立たないように歩いていると、不意に騒めきが場を支配した。まさか自分の事かと冷や汗をかいたが、生徒達の視線が向かっていたのは真正面だった。
「あ……」
誰より長身で存在感の強い彼は、廊下の端を歩いているにも関わらず目立っている。その手に抱えた物を軽く手で隠しているが、その違和感は拭えない。彼は涼しげな顔で、しかし居心地は悪そうに目は辺りを見回している。
そして忙しく動く目と、アズールの目が合った。ほんの一瞬だけ、その瞳孔が縮んだ。しかしすぐさま笑みに代わる。
「……アズール。随分とお早いお帰りで……」
「え、ええ……近場で全て買い揃えられたので。それより、お前、それは……」
 珍しく動揺した様子の顔から、手元まで視線をずらす。隠すように抱えられているそれには、ひどく見覚えがあった。
「そのブーケは……何ですか?」
 真ん中に突き刺さるメッセージカードは、整った彼の筆跡が綴られている。ジェイドは薄く口を開けたまま、暫し沈黙する。アズールは緊張で隠したブーケの根元をぎりと握った。一本根元を折った気がする。
「……テラリウムの材料です」
「……テラリウムの?」
「はい」
「……そのメッセージカードは?」
「おまけで付いてきただけなので処分します」
 淡々と答えるジェイドは、誰がどう見ても適当を言っていた。その態度に、アズールの脳内には良い想像と悪い想像が同時に駆け巡っていた。そしてどちらであるのか決めかねて、アズールも沈黙する。
 廊下には嫌な静けさが充満していた。野次馬の生徒達も動けずに固唾を飲んで二人の動向を見守っている。そんな中でアズールは腕にずしりと重みを感じ、ラウンジ開店時間を思い出す。
「……ジェイド、それは僕の――」
 こうした拮抗状態をいつまでも続けるわけにはいかない。アズールはごくりと生唾を飲み込み、それから歩みを進めようとして――後ろ手に持っていたそれを取り落とした。
「あ」
 ばさり、と紙束に包まれた植物の音は、誰かの声と共に軽くもひどく響き渡った。再び沈黙が訪れる。アズールは自らの心境の置き方も分からず、佇むしかない。固まったままジェイドと見つめ合う。ちら、とジェイドの視線がアズールの足元にずらされた。
「……アズール、それは?」
 ジェイドがゆっくり口を開く。それは相手を詰るようでいて、どこか感情の弾みを抑えた響きを持っていた。
 アズールもまたゆっくりと自らの足元を見る。半ば書かされたような愛の言葉を綴ったメッセージカードが往来に飛び出していた。アズールは静かに、落ち着いて息を吸って、吐いた。
「ラウンジの装飾用です」
「……そのカードも?」
「僕もおまけで付いてきただけなので処分します」
「……そうですか」
 会話が途絶えると、深海に戻ってきたと錯覚するほど無音だった。ジェイドはじっとメッセージカードを見つめている。アズールも、そっと首を動かしてジェイドのメッセージカードを眺める。
「……そのカード、僕が処分しておきましょうか」
 小さな波紋を揺らすような声量で、ジェイドの提言が聞こえた。アズールが答えるよりも早く、ジェイドは長い脚を折りたたんで屈み、落ちたカードを拾い上げた。
「い……いえ、結構で……」
 冷え切った空気にあっても気恥ずかしさはやってきて、奪い返そうと手を差し出したところで違和感に気がつく。ジェイドはカードを摘み上げたまま、膝を付いて動きを止めていた。不審に思って、アズールもかがむ。そして、その瞬間に全てを理解した。
 周囲にいた野次馬達は、突然顔を真っ赤にして立ち上がったアズールに呆気に取られる。ジェイドはゆらゆらしながらも立ち上がり、いつもの微笑を見せた。皆一様に訳もわからず緊張状態で見守る中、アズールは落としたブーケを引っ掴んで、ジェイドの胸元に押し付けた。
「お前の分は僕が処分します。いいですね」
「……よろしいのですか? ではお言葉に甘えて」
 ジェイドは目を丸くしながらブーケを受け取り、自らの物と交換した。アズールは手元にやってきたブーケを改めて見て、唇を噛み締めた。全くの同形のブーケだった。こんなものは自分達に似合わないと知りながら、ジェイドも同じように買ったのだろうか。込み上げる感情を押し殺すように顔をあげると、小さく可憐なブーケを抱えるジェイドがいた。彼は少し萎れた蕾を見つめて、嬉しそうに微笑んだ。驚いて、咄嗟にブーケを掲げジェイドの顔を隠す。
「え?」
何に驚いたのか、自らの行動の理由が空白で呆然とする。今しがた聞こえた疑問符が自分からなのか周囲からなのかも分からず、思わず振り向くと野次馬達がさっと目を逸らして散っていった。
 誰もいなくなった廊下で、アズールはそっとブーケを下ろす。ジェイドは面白そうに笑ってアズールを見る。その手には、彼に似合わないと思っていた花がある。
「……すみませんでした。八つ当たりをして」
「別に怒っていませんよ。フロイドも反省していましたし」
 固まっていた微笑が解けて、弛緩する。気の抜けたジェイドの表情に、アズールも息を抜く。
「プレゼント、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ……」
「メッセージカードも、嬉しいですよ。貴方はこんな口説き文句を使うんですね」
「何ですか、その言い方は……気に入らないんですか?」
「……いえ」
 外れていたカードを挿し直して、ジェイドはまた固まった微笑を作り上げた。
「ときめきました」
「……照れるなら言わないで下さい」
 どこまでも柄ではない、似つかわしくない愛の言葉を目で追いながら、ポケットに入れたままにしていたフラワーショップのポイントカードをカードケースに突っ込んだ。

 

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