「くそ、また外れだ!」
購入したばかりのミステリーバッグを開いては、こうして悪態をつく。何度目であるかは、腕に掛けられたバッグの数ですぐに分かる。随分と動かしづらくなった腕に、もう一つのバッグがぶら下がる。仕方ない、と呟くなり、再び山になったバッグを手に取り、途絶えない列に並び直した。
そんなアズールの様子を見つつ、カリムとデュースは顔を見合わせる。
「すごく頑張ってるよなぁ、アズール」
「そうですね。そろそろ当たりが来ればいいんですけど……」
雑談もそこそこに、二人は長蛇のぐだぐだな列をどうにか捌いていく。外れて文句を言ったり、手を出してくる者達に比べれば、アズールは何度も並び直しているだけだから手が掛からない。その分、デュースは彼を少し応援し始めていた。
そして来たる十数個目のバッグを会計する。アズールは再び、レジ横で新たなバッグを開いた。なぜかデュースまで手に汗握りながら、様子を見守る。
「……ああもう! また外れだ!」
舌打ちまでに一瞬の間があった。もう十個目を超えれば、彼の反応の差が分かる様になってきていた。そんな自分がちょっと嫌になりながらも、デュースも気になって中身を覗き込んだ。
「靴……? ブーツ、ですかね?」
紙製のバッグにみっちりと詰め込まれていたのは、黒い革のブーツだった。溜息をつきながら、ちらとデュースの方を流し見て、アズールはそれを取り出す。
「そのようです。はあ、何だってこんなに当たらないんでしょう。日頃の行いは良いはずなのに」
「それはちょっと同意しかねますけど……」
聞こえないようにぼそりと呟きながら、アズールの取り出したブーツを見た。どこにでもありそうな、普通のブーツ。しかし安物には見えず、デュースとしては正直、当たりの部類に思えた。
「おっ、今回はブーツが当たったのか! 良かったな!」
客が一旦退いたらしく、カリムも横から覗き込んでくる。溌溂とした笑顔と声にほっとしていると、ふとカリムが首を傾げた。
「でもその靴、なんか底が厚くないか?」
言われて、改めてブーツを観察する。そして「あっ」と声が出た。一見すればただのブーツだったのだが、良く見ればかなりの厚底だった。
「本当だ。全然気が付かなかった……こんなに分かりやすく厚底なのに」
「それは魔法のシークレットブーツだからさ!」
「へえ、魔法の……うわっ!?」
隣から解説されたのを一瞬受け入れかけて、すぐに現状に気付き飛びのいた。「Sorry!」と軽く手を挙げるのはサムだった。
「シークレットブーツってなんだ?」
「身長を高く見せるための靴ですよ。僕にはまっっったく必要ありませんねぇ」
衝撃に未だ心臓が落ち着かないデュースをよそに、カリムの疑問にアズールが吐き捨てる調子で答えた。カリムは気にした様子もなく、「確かになぁ」と頷く。
「でもさ、一回履いてみてくれないか? 魔法って言うからには、何か面白い効果があるんだろ?」
「Exactly! 百聞は一見に如かず、確かめたいなら試してみる事をオススメするよ」
サムは軽い調子でウインクすると、再び奥のヤードへ引っ込んでいってしまった。在庫の確認をしている途中で出てきたのだろうか、と考えて、無駄だとすぐ気付き止めた。
アズールは暫し渋った様子だったが、ふと何か思いついたように目を瞬かせた。何か商売の気配を感じ取ったのかもしれない。カリムとデュースが見守る中、革靴を脱いでアズールは魔法のシークレットブーツに足を入れた。
両足がブーツに包まれるのを確認してから、中々良いデザインだなとデュースは思う。それから顔を上げて、また驚き飛びのいた。
「……どうです?」
「うわっ、すごいなアズール! 身長が伸びたみたいだ!」
「ぜ、全然違和感もない! 今のアーシェングロット先輩、リーチ先輩方くらいありますよ!?」
「なるほど。無理矢理底上げしているのを感じさせない、というのが効果ですね」
随分と背の高くなってしまったアズールを見上げながら感嘆する。本当に身長が伸びてしまったみたいだった。”リーチ先輩方くらい”と称したが、実際は彼ら以上になっているかもしれないと内心で恐々とする。
ふむ、と顎に手を当てたかと思うと、アズールは爽やかな営業スマイルをその顔に貼り付けた。植え付けられた恐怖心が不意に呼び出されて、デュースの顔が強張った。
「では、今日のところは一旦帰ります。また明日もよろしくお願いします、カリムさん、デュースさん!」
「おう! 今日は残念だったけど、明日はきっと当たると思うよ! じゃあな!」
「まいど、ありがとうございました!」
唐突とも言える彼の言葉にもカリムは至極当然のように笑顔で応対する。それを横目に、デュースも頭を下げた。このバイトは勉強できることがたくさんあるな、と、不自然に頭一つ抜けてしまったアズールを見送りながら思った。
◇
「譲ってくれて良かったね~、ジェイド」
「ええ、親切で助かりました。良い後輩をお持ちのようで」
ハーツラビュル寮を後にしたジェイドとフロイドは、オクタヴィネル寮の廊下を歩き自室へ向かっていた。ジェイドは封の開いたミステリーバッグを手に、嬉しげににこにこ笑っている。フロイドも楽しそうに、外れたバッグを指に引っ掛けて遊ぶ。すれ違う寮生達も各々にミステリーバッグを持っていて、その表情は様々だった。
談話室へ来たところで、溜まっている寮生を発見したフロイドが、にやりと笑って道を逸れる。彼の行き先は明白で、バッグを嬉しそうに抱えていた寮生は真っ青になってそれを背に隠した。ジェイドも特に止めはせず、楽しそうな兄弟の背中を一瞥してから、再び帰路についた。
「ジェイド。ここにいましたか」
「おや、アズール」
自室の前へ着いたところで、購買へ残してきたアズールと鉢合わせた。彼は既にバッグの類は持っていなかった。彼の歩いてきた方向を考えれば、部屋へ置いてきたのであろう事は簡単に想像がつく。大方、持ちきれなくなって一度帰ってきたのだろう、とアズールの表情を観察して推察した。
「目当ての物は当たりましたか?」
「まだです」
「そうですか。残念ですね、あんなに欲しがっていたのに……」
推察はとりあえず無視してわざと問いかけてみれば、少し顔を曇らせながら思った通りの返答が戻った。アズールらしい、と浮かんだ言葉には蓋をして、白々しくも眉を下げて同情を口にする。そして、違和感を覚えた。
普段であれば、上手く行かなかった場合にはもっと落ち込んでいるか不機嫌なはずだった。しかし今は、ちょっと機嫌が悪いという程度の表情でジェイドを見下ろしていた。
――”見下ろして”いた?
突然理解した事実に背筋が冷えて、反射的に身を退いた。アズールは瞬間目を丸くしたかと思えば、意地悪く目を細めて見せた。
「おやおや、どうしました? ジェイド。お前らしくもない」
「それはこちらの台詞です、アズール。貴方、遂に身長を伸ばす魔法薬に手を出したのですか? そんなに悩まれていたとは露程も知らず、申し訳ございません」
「違いますよ」
これも最早反射に近い憎まれ口を叩きつつ、じりじりと後退る。アズールは笑顔のまま、その距離を詰める。陸の上でアズールに見下ろされる違和感がとんでもない。海の中ならいざ知らず、人間になってからはずっと彼の顔は見下ろしていたものだから、どうにも思考が鈍らされる。
そうして生じた隙を、彼が見逃すはずもなく、逃げ損ねた腕をとられる。咄嗟に退こうとした背は壁に打ち付けた。捕まった片腕をも壁に押し付けられてしまった。八方塞がりにまで追い込まれ、やっとアズールを睨みつける。
「ふっ、ふふ……どうです、見下ろされる気分は!」
心底愉しげにアズールが問う。問いかけというよりは、悦に浸って零れた言葉といった調子だった。ジェイドは当然、それに悪態を返そうとした。しかし、声が詰まってできなかった。
アズールの浮かべるそれは、とても綺麗な笑顔とは言えないものだったが、何故だかどきりとした。彼に見下ろされていると海の中にいるような錯覚を起こしてしまうが、背中に付いた壁がそれを消し去ってしまう。頭がどんどん混乱していく。
どこからどう見てもいつも通りのアズールなのに、身長だけが伸びていて、しかも魔法薬ではないと言う。段々と霞がかっていった思考の中で、ひとつの答えがぽつりと浮かんだ。
◇
「ジェイド、感想は無いんですか?」
反応のないジェイドに痺れを切らして、今度こそアズールは問いかけた。見下ろした彼はぼんやりとした目でそれを見上げて、それから呟いた。
「これは縁起のいい夢、と言えるんでしょうか」
「は?」
脈絡のない発言にアズールは思わず眉を顰めた。構わず、ジェイドはアズールへと手を伸ばす。
いつも上から降ってくるだけの彼の手が、下方から自らへと伸ばされる光景に、アズールは今更どきりとした。海の中でも、大抵は横か上から伸びてきたその手が、不思議そうに下側からそっと頬に触れた。一瞬、思考が無くなった後、急激に触れた箇所が熱を持つのを感じた。
「ゆ、夢じゃありません! これは魔法道具の一種で、シークレットブーツと言って……!」
「ふふ、面白い。売り方次第では資金稼ぎになりそうですね」
「そうなんですよ! 最後になかなか良い物を引いて……ジェイド!」
普段通りの話題提供が為され、現状を忘れて自慢げにしたところで今度はジェイドの手が頬を滑って首、肩をなぞる。くすぐったさに耐えかねて掴んでいた手を離すと、そちらの手もアズールに触れる。
「な、何なんですか! やめなさい!」
「……いえ、すみません」
不意に、夢から覚めたかのように、ジェイドの手が離れる。触れる体温が消えたのが名残惜しく思えてしまって、更に眉を顰めた。その眉間をジェイドの指が軽く揉んで、彼はにこりと微笑む。
「貴方に見下ろされるのは、悪くありませんね」
今度こそ、まさしく頭が真っ白になって言葉を失った。妙な想像が脳内を駆け巡る。
目線がひどく高くなった時、いつも見下ろして笑う顔がすぐに思い浮かんだ。どうせなら、逆の立場で見下ろしてやろうと思った。ただそれだけだったのに、突然自らの中に芽生えてしまった感情の名前を、今は絶対に知りたくなかった。
ジェイドは嬉しそうにアズールを見上げる。その視線が余りに熱くて、逃れる様に顔を背け、厚底すぎるブーツを脱ぎ捨てた。途端に普段通りの目線に戻り、目を丸くしたジェイドに見下ろされているのに安堵して、そしてその場から全力で逃げ出した。
コメントを残す