かちかちと刻む時計の秒針だけがやけに大きく聞こえる。手の中に収めた文庫本を捲っては戻しを繰り返す。尻を付けているベッドがきしりと音を鳴らしてどきりとする。忙しない自らの動作に呆れ、息を溢した。
「お待たせしました」
そこでノックもそこそこに開いた扉から、見慣れた顔が覗く。結局一行も進まなかった推理小説をベッドサイドのテーブルに置き、後ろ手に戸を閉めた姿を見遣る。一見、普段と変わりない制服姿で立っている。微かに水滴の垂れる髪や淡く色付いた頬だけが、二人だけの時間を示すイレギュラーだ。逸る気持ちを抑えながら、「どうぞ」と横にずれると、頷いてジェイドが隣に座った。
ふわりと石鹸の香りがする。それだけで疲れに沈んでいた脳味噌が期待で目を覚ます。隣に座る、自分よりも背の高い顔を見上げる。座っていると、立って相対する時よりも身長差が埋まる。そのせいで想像以上の近さで合った色違いの双眸に驚き、息を詰めた。それが分かったのか、ジェイドは緩く目を細め、くすりと息を零した。
「どうしました?」
「……いえ、別に何もありませんけど?」
「おや、そうですか。緊張しているように見えましたが、気のせいですね」
そう言って笑う表情は、アズールと対照的にいつもよりも緩い。どこか穏やかな印象を与える微笑みを真正面から受け、身体に長らく溜められていた熱が表出するのを感じた。どうか他の奴の前では飄々と笑うだけにしておいてほしいと密かに思う。
僅かに身を乗り出すと、手袋のない手を布地がするりと撫で、体温が重なる。視線をやると、ジェイドの手が手袋越しに触れていた。重ねられた手の下から抜き出して、手を合わせるように握って持ち上げ、指を絡める。目を細めたジェイドの頬に逆の手を伸ばしながら、繋いだ指を手首の方まで滑らせる。そのまま手袋の端にまでずれ、布地の下に指を入れた。細い手首の血管を撫でるように、手袋をずらしながら素肌に触れていく。手のひらを撫でて、指の隙間をくすぐって、ついに素肌の指を握ったら手袋が外れて床にぽとりと落ちた。
何度も手を握り、温かい頬をゆっくりと撫でる。そのまま耳朶に指を触れれば、しゃらしゃらとピアスが揺れた。金具を爪で弾きピアスホールを揉むようにすれば、小さく息を漏らしながら手袋を付けたままの手が手首を掴んだ。
「自分で、外しますよ」
「そうですか。残念です」
名残惜しく、最後に耳朶を捏ねてから離す。赤くしながらも微笑みを崩さないジェイドが、自らの細長い指をピアスに絡ませる。そして、やんわりと肩を押される。請われるまま背中からベッドに横になると、ジェイドも身を倒す。押し倒される体勢になれば、優位で居るのが楽しいのか、笑みを深めてアズールの顔の横に手を置いた。
かちゃり、と鳴らしてピアスが外れる。鱗が指に絡まったままで、ゆるく上半身が降りてくる。意図を察してその腰に手を添え、眼鏡を外してベッドに投げる。ふわり、とあまり見ない柔らかい笑顔が向けられる。
今日は我慢が出来そうにない。そう思いながら、髪を撫でて近付く瞳を見つめ返した。
「ジェイド……」
「アズー…………」
ル、の一音は空気が抜けると同時に消えていった。同時に、彼の体を支えていた腕がずるりとシーツの上を滑る。どさりと上半身が落ちてきて、次いで腿が膝の上に落ちた。
「え? ……お、おい、ジェイド?」
アズールの胸に頭を乗せ、全身でのしかかってくる。急に力が抜けたらしいジェイドの姿に思わず動揺して上擦った声が出た。軽く背中を叩くように触れて声を掛ければ、規則正しい呼吸が聞こえた。
「ぐう」
ぐったりとアズールに体を預けたジェイドの喉から、寝息が響いた。そして全てを悟り、アズールは頭を抱えた。
まずは重い。自分よりも背のある男の、それも意識のない体重が掛かっている。そして密着した体温が辛い。実に数ヶ月ぶりに触れるその身体が嫌でも感じられてしまう。すり、と眠ってしまった彼の頭が胸に擦り寄った。もう駄目だと両足を投げ出した。その足にジェイドの長い脚が絡んでくる。もういっそのこと、このままひっくり返して起こしてやろうかと思ったが、視界に入る寝顔があまりに穏やかで、触れようとしただけの手すらもふらふら宙を彷徨う。
疲れ切っていたのか、アズールの体温に安心したのかは分からないが、珍しくも寝顔を晒け出してぐうぐう眠る姿に気が抜ける。とりあえず、全身を包む体温に落ち着くどころか熱を孕み始めた心臓を黙らせるために、無心で切り刻まれるタコ足について考える事にした。
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