利敵の天秤

 

 テロ予告が届いたのは、パーティーの三日前であった。
 姫宮家が主催するそのパーティーは、天祥院家や朱桜家をはじめとする有力貴族を招いた大規模な社交界である。関係構築やら情報収集やら威光を示すやら、そういった目的である。ただ大規模であるが故に、些細なミスですらも家名に傷を付けかねない。要は、姫宮家にとって重要な日と言えた。テロ行為を赦すような隙を作る事自体が、露見してはならない事実であるほどに。
「……つまり、表沙汰にならぬよう、秘密裏に処理をせよ――という話でございますか」
 忙しない日々の合間を縫い時間を合わせた、質素な椅子に腰掛けたままの肉親は当然のように頷いた。そして、弓弦は「承知いたしました」とこうべを垂れ、内心で溜息をついた。

 弓弦は桃李の執事である。それと同時に姫宮家に仕える執事であり、中でも荒事の解決に関して強く信頼されていた。一直線に話が回ってきたのも当然のことと言える。だからこそ、抵抗はあれど疑問もなく、その潜入調査を了承した。
 桃李に出席させる訳にはいかず、かと言って一人では顔見知りもいるため少々目立つ。だからパーティーで擬態する為に必要となるパートナー役も、姫宮の警備会社から優秀な人材が宛がわれたと聞いていた。予告の時間や場所、要求内容、目的等を把握し、当日にどう立ち回るべきか。日々の業務をこなす中で捏ね繰り回した脳内では、既に作戦が出来上がっていた。大体の作戦を組み立て、パートナーとなった人間にも共有できる程度に整然とさせていき、どのような相手でも良いようにと簡単な資料を用意した。
 そしていざ顔合わせの日、相手の勤める警備会社の一室を使い待ち合わせをしていた。
 ノックをしたのち「失礼します」とドアを開く。部屋の中にいた人物は簡素なパイプ椅子に腰掛けていて、弓弦に目を向けると手にしていたタブレットを机へ伏せた。
「やあやあ、お疲れ様です。敬礼~☆」
「失礼いたしました。どうやら部屋を間違えたようで」
「間違っていませんよ、テロ対処の件でしょう? 現実を見てください」
 最悪だ、と思ったのが顔に出たらしい。「そんなに嫌そうな顔をしないで下さいよ」と笑った茨が、近くの椅子を引いて座るよう促した。弓弦も渋々ながら座り、じろりと茨を睨んでみる。茨はさっと目をそらしてタブレットを操作し始めた。
「……今回の件。あなたの仕業ではないでしょうね」
「まさか。テロの予告なんて最低の行為ですよね、自分がやるはずないでしょう」
「どの口が」
「で、作戦なんですが」
 都合の悪い会話から逃げるように差し出されたタブレットには、プレゼン資料が映し出されていた。
「まず招待客を装い、会場に潜入。その後は挨拶回りをするふりをして怪しい人物、危険物等の確認。ここでおおよその目星を付け、時間前に爆発物なら解除、人間なら確保の準備を、という感じで、待機場所としては…………って、何ですか、その嫌そうな顔は」
「いえ……最悪だな、と思いまして」
「は? どこが?」
 脳内で組み立てていた作戦が、憎たらしい昔馴染みの口から語られている。その光景に、弓弦は思わず顔を顰めていた。ばさりと用意していた資料を投げ付ければ、目を通すなり、茨の顔も同じように歪んだ。

 ◇

 煌びやかな会場だった。時間を掛けて手配しただけある、と弓弦は細部を確認しながら安堵する。
 その間にも通り過ぎていく挨拶の声に、いつも以上に気を張りながら会釈を交わす。時には距離感の近い者とは握手をしながら、手の内を探る。その中で立ち止まり、謝意を告げた男性がいた。数度、社交界で坊ちゃまの付添に顔を合わせたことがある。形式的な言葉を交わすと、貴族らしいにこやかなポーカーフェイスで頷きながら、彼は隣を見やった。そして、喧嘩でもしているのかい、と付け加えた。
 つられて目を遣れば、不機嫌に顔を顰める赤い髪の女性がいる。咄嗟に首を振って、腕を取った。
「少し調子が悪いようで。お気遣いに感謝いたします」
「……チッ」
「しっ」
 相手にぎりぎり聞こえない程度の小さい舌打ちをした、その脇腹を小突く。探るような目になりつつあった顔見知りの男へは会釈をして離れた。
 今回の件は秘密裏とはいえ、英智には予め事情を伝えている。そして彼の協力を得て、体調不良を理由にした欠席の連絡も受け取った。司には同日、大切なユニットライブが重なるように英智が手を回し遠ざけている。知り合いは然程居ないからと、話を振られることも少ないだろうと油断していた。
 誰が見ても不機嫌そのものを装った女性、もとい茨に耳打ちをする。
「もう少し、普通に出来ませんか?」
「これでも譲歩してますよー、かなり。報酬上乗せするって約束は忘れないで頂きたいですな」
「もちろん、そういう契約ですから。それに、意外に似合っていると思――っと」
 ヒールが弓弦の革靴を掠め、がつんと大理石を蹴った。実際、高価なドレスで着飾られた小憎たらしい男の姿が面白くて溢してしまった軽口を引っ込める。
 茨はちらと周囲を確認すると、ふと笑みを取り戻した。それは碌でも無い事を思い付いた時の顔だった。一歩下がって、しかし彼の腕が腰に回った。ぬるい掌が正装越しにするりと動く。
「……こら」
「普通にしろとの事でしたので、恋人らしく接触をしているだけですけど」
「普通、社交の場で破廉恥な行為はいたしません」
「じゃ、後で?」
 周囲の客から見えない角度で、茨の顎に軽く拳を入れる。「ぐっ」と小さく声をあげて、それでも仕返しは済んだとばかりに満足げにしている。言い返したい言葉は一旦飲み下し、弓弦は真面目に立ち戻り声のトーンを落とした。
「目星は?」
「現状では十時の方向、テーブルの端の男。もしくは三時の方向、バルコニー前ですかね」
「誠に遺憾ながら同意見です」
「ええ本当に。あーあ、あんたが女装すればよかったのに。絶対に似合うと思うんですけどねぇ」
「まあ、機会があればね。今回は顔見知りがおりますから」
「あ。言質取りましたよ」
 無視して、弓弦はそのまま一番近いテーブルに寄った。談笑する淑女達の間を縫って、シルクに包まれたテーブルの下を探る。茨は息をついて、それを隠すよう陣取り、並べられたワイングラスから一つを手に取った。
「どうぞ、ダーリン」
「わたくし、未成年ですので……」
「飲んだことあるくせに」
 都合よく肘の前にあった茨の腹を小突くと、「うっ」と呻いて黙った。

 三番目のテーブルに差し掛かったところで、指先に不自然な感触がした。ちらと茨に目配せをする。すぐに耳元に人差し指を当て、ぼそぼそと小さく呟いている。
 周囲を注意深く確認していれば、一人と正面から目が合った。ずっとバルコニーの前に立ち、まだ挨拶を交わしてもいない男だった。脳に詰め込んだ名簿をひっくり返しても、そいつの名前は出てこない。つまり黒。
「茨」
「ああ。アレですね」
 通話を終えた茨が頷いて、背中側も確認している。それから、手に持ったワインを手放した。
 がしゃん。ガラスの割れる音がする。数人の給仕がやってきて、弓弦達のそばへ寄ってくる。茨は一言二言だけ話して、弓弦の腕に自らの腕を絡めた。
「ちょっと……」
「あれ? 普通にしろと言ったのは誰でしたっけ?」
「普通の意味を知らないのですね、可哀想に」
 また飛んでくる鋭いヒールを避け、目標を視界に捉え続ける。殺気を殺して視線を逃したふりをすれば、標的がすぐに移動を開始した。茨の「作戦B」と小さく呟く声を聞きながら、ゆったりとした足取りで会場を離れた。

 バルコニーに出れば、そこに居たはずの男が消えていた。纏わりつく茨の腕を振り解きつつ、バルコニーから身を乗り出して観察する。足跡が残っている。手摺を跨ぎ、そのまま手だけ引っ掛けてぶら下がる。バルコニーの真下から、飛び出した電気配線が見えた。
「発見しました」
「アイアイ。F地点にて爆発物発見、至急対応を」
 一応、片手だけ手すりから離し爆発物らしき物体に手を伸ばす。しかし、微妙に届かなかった。諦めて身体を持ち上げると、下を覗き込んでいた茨にぶつかりそうになる。茨が咄嗟に一歩下がって激突を避けたようだった。
「危ないですね。わたくしを落とそうとでも?」
「いえいえ、ただ心配で! 手助けして差し上げようと思いまして!」
「必要ありませんよ。ご存知の通り」
「はいはい……」
 手摺に両足を付けてから、改めて下を見下ろす。足跡の向きから察するに、これは――
 さっと血の気が引く。まずい。考える暇もなく、弓弦は再び手摺から身体を離す。今度は地面を真っ直ぐ、目標地点に見据えている。
「ちょっと、弓弦!? 作戦は!?」
「本館へ向かいます、闖入者への対処です。応援を頼みます」
「はあ!? いやいや、待機場所は本館じゃ――あーあーこう言う時は話も聞かないし待ちませんよねぇあんたは!」
 憎らしげに叫ぶ茨の声をバックに、弓弦は中庭へ不自然につく足跡を追いかけた。あちらも警護は固めているが、会場と比べれば手薄。不安要素は排除しなければ。待ってるからね、無事に戻ってこい、と告げる桃李の声がリフレインする。足は自然に早くなっていった。

 パーティー会場である別邸の庭を駆けて、屋根の上へ足跡が付いている。こういう日のために鍛えた身体能力を存分に活かし、猫のようなそいつの跡を追っていく。屋根を飛び移る最中で、その背中を捉えた。
 殺気を殺せない事を悟り、諦めて速度を上げる。振り向いた男が舌打ち一つし、隣の屋敷の屋根に飛び移る。その動きに食らいつき、内なる闘争心が悦ぶのを感じていた。
 男の速度は落ちていくが、弓弦の速度は上がっていく。そうして差は埋まって、弓弦の手の先に背中が追いついた。ばっと腕を伸ばし、その背中を掴む、と同時に、がくりと掴んだものが落下した。
「うわっ……!?」
 離すのがワンテンポ遅れ、弓弦も男と共に落下する。地面は遠い。受け身を準備するが、男はそのままだ。自死を選んだのだと気付いたがもう遅い。
「くそ!」
 考える暇は今度こそ無かった。重い身体の下へどうにか身を滑り込ませる。抵抗を押しのける。受身は間に合わない。覚悟を決め、腕で身体を庇う体勢を作った。落下地点を視認して、ぱちりと瞬きをした。
 ゴッ、と嫌な音がした。打ち身の痛みに少し呻く。すぐに背中側から首を掴まれる。しかし、それを跳ね飛ばす腕は空を切る。振り向いて見えたのは、武装した二名の警備員に取り押さえられる男の姿だった。
 視線を落とす。落下地点にあったのは、茶色のクッションだった。
「はぁっ、はぁっ……あー、生きてますかね、教官殿……」
 警備員を掻き分け、息を切らせた茨が顔を出す。小さく頷いたら、「よかった」と呟いて、それから大きな大きな溜息を吐き出した。

 ◇

 柔らかいベッドに腰掛けたまま、腕を前へ差し出す。黙ってぐるぐる巻かれる包帯を眺めながら、じんとした痛みを感じている。
「……あのクッション。茨が用意したものなんですね。応援も、ちゃんと呼んでくれて」
「そうですけど?」
「お陰で助かりました。ありがとうございます」
「…………」
 茨は弓弦をひと睨みすると、最後をギュッと強めに縛る。思わず顔を顰めるが、今回ばかりは黙っておくしかない。どうにも情けなくて、憂鬱に息を吐く。涙目の桃李から受けたお叱りが頭から離れなかった。
「見捨てればよかった」
「ええ。それでも恨みはしませんでしたよ」
「あんたはね。姫宮氏には断絶されたでしょうから、それは避けたかったですし、まぁ報酬もありましたしね。あーあれこれ手を回しておいてよかった! 自分のパートナーには赤信号の概念がありませんからね!」
「……まぁ、今回ばかりは何も言いません」
「言われても聞きませんとも、ええ」
 包帯だらけの腕を解放される。軽く動かしてみるが、骨折の様子は見られない。ほっとしながら力を抜くと、茨が横に座ってきた。疑問を呈するより先に、茨の腕が肩を押す。咄嗟のことでなすがままに倒れる。
「で、報酬の話なんですけど」
「お断りします」
「まだ何も言ってないですよ」
「……後日お支払いするという話では?」
「残念、上乗せするという口約束でしかありません! 内容の契約なんてしていない、つまり何でもいいという事です」
「屁理屈ですね」
「でも断る資格はありませんよね? なんせ自分は命の恩人ですから!」
「頼んでいません」
「では今すぐ殺してあげましょうか?」
 青筋を立てた茨の手が首に乗った。気道を的確に捉えるその重みは、しかし殺意の欠片も無くて、ふっと気が抜ける。
「何を笑っているんですか? マジで殺しますよ」
「いいですよ。どうぞ、お気に召すまま」
「……あー、むかつく」
 ぐっと顔が近づく。顔の横に片腕が置かれて、そっちに体重が乗っている。首に触ったままの手は、枕との隙間に滑り込んでくる。
「う」
 むず痒くて身を捩る。それを茨はじっと見下ろしながら、自らの唇を指で拭い、そのまま弓弦の唇を撫でた。べたつく感触で口紅が塗りつけられた事は分かったが、いまいち意図が読み切れずに茨の目を見返す。
「やっぱり似合う」
「はい?」
「でもまぁ、無い方がいいですね」
 一人でそう納得したように言い、手の甲がまた口元を拭い去った。文句を言おうと開いた矢先、下唇に噛み付かれる。あぁまた付いた、と当たり前の事を言いながら、茨の指は唇をなぞる。弓弦は眉を顰めながら、長くカーテンのように垂れている赤い髪を払いのける。
「まさか、このままするつもりですか?」
「嫌なんですか?」
「ええ、かなり」
 改めて見上げれば、見慣れたブルースカイがそこにある。とは分かっていても、盛られた睫毛や白く塗られた肌、長いウィッグ、その他諸々と違和感が主張してくるため落ち着かない。
 そんな内心を見透かしでもしたのか。茨はにやっと口元を笑わせて、皴一つなかった弓弦のシャツに手を掛けた。そして、この男の前に偶然の一致なんてあるはずもないのだということを、今になって思い出した。
「じゃあこのままで」
「死んでくださいまし」

 

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