部屋でやって

 

 営業終了後のモストロ・ラウンジはそこそこ盛り上がる。頭や体を疲れ切らせた男子高校生達が飢えた獣の如く賄いを食す。それが閉店したラウンジの最後の仕事である。
 とりわけラギーは毎度この時間を楽しみにしていた。美味い物で腹を満たせる幸福感は格別だと知っているからだ。特に、ジェイド・フロイドが当番の日――支配人の肥えた舌をして絶品と呼ばれる賄いにはタッパーも持参している。但し、気分次第では地獄にも変わる物だから油断は出来ない。
 そういった諸々があって、割とこの時間は賑やかだ。その賑やかさが、キッチンに入っていく背中を見て、歓声か悲鳴か決まるのである。そして今日は、前者だった。
「いただきまーす!」
 支配人手ずから作られた賄いは凄まじいスピードで消費されていく。接客に使っていたテーブルを囲んで食べる生徒達は幸せそうだ。ラギーも何とも言えない達成感と疲労の中、頬が溶けるような美味い食事を腹に収める。
 アズールとは利害の一致さえしていれば面倒もなく、これまでのバイトに比べれば格段に待遇も良い。まだまだ利用、もとい辞めるつもりは起きない割の良いバイトだ。
「ごちそうさまッス! じゃ、お疲れ様でしたー!」
 誰より多く食べた割に早く食事を終えたラギーは、自分の皿だけ片すなり荷物を持ってラウンジを飛び出した。帰寮したら、今度は我らが寮長の世話がある。

 鏡を潜り、まずは自分の部屋へ戻ろうとした。しかし、その脚は手前で止まる。ポケットの中にある筈の感触が無い。何度確認しても、別のポケットにも入っていない。青ざめて、それから溜息に変わる。もし途中で落としていたら絶対に音で気が付く。つまりこれは忘れ物だと見当がついた。いつもなら絶対に忘れ物などしないのに、どうも思っている以上に疲れで参っているらしい。すぐさま踵を返し、駆け出す。
 また鏡を飛んで潜って、来た道を走る。すれ違う居残りの生徒やバイト仲間から珍しげな目で見られるのを感じつつ、一目散にラウンジへと戻った。

 仰々しい扉を押し開いて、中を覗き込む。大分時間が経っているから、もう誰もいないだろうと踏んで、結構な勢いで開けてしまった。そうして立った物音で、閑散としたラウンジに残っていた人物は弾かれたようにラギーの方を見る。
「ラギーさん、ドアは静かに開けて下さい!」
「フロイドが忘れ物でもしたのかと思いましたね」
 そこにいたのは、支配人ことオクタヴィネル寮長とその補佐役である副寮長だった。居残って会議でもしているのかと思い謝ろうとした口は、「あれ」と疑問符を先に紡いだ。
「まだ食べてたんスね」
「ふふ。欲張って取り過ぎてしまいまして」
 自分の座っていた席に視線を走らせると、目的のものはすぐに見つかった。回収して今度こそポケットにしっかり入れてから、二人の囲む机に近寄る。確かに机の上に並んでいる食事は、人よりも多かった。ただラギーからすれば、これくらいは欲しいよね、という感想にはなってしまう。
「いつもの事ですよ。夜中に腹を空かせても困るので、仕方ないですけどね」
 アズールはやれやれと腕を組んで、食事を続けるジェイドの正面に座っている。彼の前にはフォークもナイフも、スプーンもない。
「もしかしてアズール君は食べ終わってるんスか?」
「ええ。流石にこんな量を食べる訳にはいきませんよ。カロリーオーバーどころじゃありません」
「ふーん、そっか……フロイド君は?」
「あいつはとっくに食べ終わって帰りましたよ」
 ――じゃあ、何でアズール君は待ってるんだろう。
 当然の疑問と好奇心が頭を擡げ、ちらりとジェイドの方を見る。まだまだ食べ終わりそうもないスローペースな食事風景を眺めると、二色の瞳がくるりとラギーを向いた。
「ラギーさんもお一つ如何です?」
「えっ、いいんスか!? じゃあ遠慮なく!」
 ジェイドは突き刺していたローストビーフを丁寧に持ち上げ、手招きする。「ラッキー!」と特に何も考えず口を開けると、くすりと笑って、そのままフォークが目前まで運ばれてくる。胃袋のわずかな隙間が爛々と赤い塊を期待した、その直前に、別の手が遮るように割り込んできた。
 勢いよく差し出されたそれはアズールの手だった。目前にしてとびきり美味い肉をお預けされ、思わず喉がグルルと鳴る。
「何スか?」
「何じゃありません、行儀が悪いでしょう! フォークくらい取ってきなさい!」
「ああ、気が利かずにすみません。僕が取ってきましょう」
 ジェイドは素直に皿へ肉を戻すと席を立つ。アズールは鼻を鳴らして、やや姿勢悪く座り直した。ラギーはそれを見ながら、また疑問が増える。
 ――他の寮生も同じことしてなかったっけ? その時のアズール君、黙って見てなかった?
「あのさ、アズールく――」
 ラギーは遂に浮かんだ疑問を呈しかけ、すぐ口を噤む。キッチンの方から感じた視線に顔を振り向かせれば、ジェイドと目が合った。その口元は緩やかな弧を描き、人差し指をひっそりと当てていた。ああなるほど、と息を吐く。面倒事はごめんである。
「……あー、なんかお腹いっぱいになっちゃったなー。やっぱりいいやってジェイド君に言ってくるッス」
「急ですね……まあ、僕は別にいいですよ。お疲れ様です」
 アズールはやや困惑気味にこちらを見上げるが、すぐいつもの顔に戻る。あの気分屋のそばにいればちょっとやそっとの予定外では気にもならないらしい。アズールに手を振って、今度はジェイドの方へ歩み寄る。手に持っていたフォークを棚に戻すと、彼もラギーの方へ近付く。
「お腹いっぱいになったんですか?」
「そりゃもう満腹ッスよ。だから、折角だけど遠慮しとくんで、後はごゆっくりどーぞ」
「おや、ふふふ……ありがとうございます」
 両手を上げて、”聞きたくない”ポーズを取れば、いつもの笑顔で応じられる。ラギーは愛想笑いが苦笑いになるのを感じながら、これまた背中に突き刺さる視線から逃げるように踵を返す。
「んじゃ、また来るッス。お疲れー」
「はい、お疲れ様でした」
 ジェイドはにこにこ手を振っている。言われなくても長居したくはない。早足でラウンジを後にした。

 帰ったら洗濯、夜食、諸々の雑用。帰路をだらだら歩きながら、今からの雑務について考える傍で、なかなか離れない先程の二人を思い出す。首を突っ込むつもりは毛頭ないし余計な事を言う気は一切ない。ないが、思考するのは止められない。
 ――過保護なんて物じゃない。あれは間違いなく……
 いっそのことレオナにも伝えてやろうかと思ったが、誰も得をしない事は分かりきっている。最後にもう一度、深呼吸をして忘れる事にした。

 

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