その一言では済まされない - 1/5

 

 そこにいたの、と言われた気がして瞠目した。目の渇きを厭うように数回瞼を上下する。ぼやけていた訳でも無い視界は明瞭なままで、それで見える景色が変わる筈もない。開けた丘の緑と抜ける空の境界に、美しい銀の髪が靡いている。そして、深海に似た暗い青の瞳でこちらを見詰めている。
 迎えに来たのよ、と陸にある鈴の音を思わせる繊細な声が聴こえる。優しく細められた目に囚われて、遂に足を止めてしまった。
 ああ。やっと振り向いてくれた。
 心底、嬉しそうに綻ばせた口元から溢れる美しい囁きは、何故だか厭に耳につく感覚がした。

 ◆◆

 ぽつり、ぽつりと雨が窓を叩いている。アズールの他に生徒も殆どいない図書館は余りに静かで、ページを捲る物を除いて、雨音が唯一の音だった。だから嫌でも意識させられる。海の中では知らなかったが、乾いた空気に慣れ親しんだ人間の体では、意図せず被る水はかくも鬱陶しい物か。それに囲まれて生きてきた身としては不思議でならない。そこまで考えて、今しがた目で追っていた筈の文字が一つも頭に入ってきていない事に気付き、溜息を吐く。課題に必要な資料だけは読み進めていたが、付随する論文も叩き込んでおこうとしていたのが今で、それが雨のせいで台無しだ。こうなったらとことん駄目だと分かっているので、潔く本を閉じた。
 机上に広げたノートや教科書は纏めて鞄に詰め、論文集だけ小脇に抱えて本棚へ近づく。物のついでに窓から外の様子を窺えば、雨は随分と酷かった。海も嘸かし荒れている事であろう。故郷に思いを馳せ、踵を返す寸前に、無視できない物が目に映った。
「……ジェイド?」
 嵐に近い雨の最中、遮蔽物のない開けた場所で佇んでいる細長いシルエットは、見間違えるとしたらその片割れだけだ。遠目でも分かるぴしりと伸びた背筋はフロイドのものではない。何かを観察しているのだろうか、とぼんやり思いながら眺めていたが、はっとする。制服は水を吸って黒々としており、エメラルドグリーンから水滴がぽたぽた落ちている。
(あいつ、どうして魔法も傘も使っていないんだ!)
 抱えていた書籍を取り落としそうになって、本来の行動目的を思い出した。窓の外から目を外し、適当な本棚に捩じ込んで、図書館を早足で出た。

 本校舎の玄関口には貸出の傘が置いてある。現在は主に監督生用として使用されているが、なんらかの事情で魔法を行使出来ない生徒の為の物だ。アズールはそれを一本手に取って、玄関口を押し開ける。途端にザアザアと酷い雨音が聴こえてきた。この雨では、例え軍事船でも転覆するだろう。自分には雨避けの魔法を掛けて、傘を広げた。濡れた地面を走るのは危険だと教わったような気もするが、今は仕方が無い、と胸中で言い訳しながら目的地まで走る。
 図書室から見える場所は把握していたため、すぐに辿り着いた。休憩用のベンチや街灯はあるものの、それ以外は何も無い。そこにジェイドは立っていた。空を見上げるでもなく、俯くでもなく、平常通りの真っ直ぐな姿勢で何もない正面を見ていた。
 思う所は色々とあった。しかし、アズールは優先事項を守って、まず傘を差し出した。彼を濡らす雨が遮蔽される。
「……風邪を引きますよ。今は人間なんですから、気を付けて下さい」
 骨組に張られた布が雨を弾く、軽快な音が響いている。長身をそこに匿う為に伸ばした腕は少し痛い。言葉を待っていると、不意にジェイドがゆるりと首を振った。濡れた髪から水滴が散る。水を吸った髪は重くなる。それが邪魔だったのだろうか。考えながら黙っていると、重苦しい体を引き摺るかのように緩慢な動きで彼は振り向いた。
「…………え?」
 幾らでも言ってやろうと作っておいた言葉があったのに、その全てが崩された。息を詰めて、ジェイドの相貌を観測する。白く柔い肌には、アズールにとって見慣れた硬い緑の鱗がくっ付いていた。ピアスがあったはずの左耳は鰭へと戻り、二本になった脚は殆ど鱗に覆われている。
 思考が纏まって、真っ先に思うのは昨日使ったばかりの魔法薬の事だった。しまった、予備が無い。二人にも魔法薬の効果期限を伝えておくのを失念していた。油断していたのだ、いつも他ならぬジェイドがフロイドへ通知していたから。そういえば近頃はラウンジが繁忙期で、アズールもジェイド、フロイドも充分な休みが取れていなかったように思う。なればこそ、平常であれば忘れたりしない重要な話をすっ飛ばしてしまっていたのだ。
 妙に冷静になった頭で状況を整理してから、傘を閉じる。ここまで変異が進んでいるなら、水中に居た方が楽だろう。
「すみませんが、予備の魔法薬を持っていないので、今から寮に戻って取ってきます。ジェイド、それまでプールで待っていてくれますか」
 幸いにして、何も無いと称した現在地は学園のプールが非常に近い。そちらを指しながら指示をすれば、中途半端な変異故に空気中の音が拾えない状態であるのか、曖昧に微笑む。
「もうすぐお前は肺呼吸から鰓呼吸に変異します。ですから、水中にいて下さい。いいですね」
 大事を取って、再度口を大きく動かしながら指示をする。それでもジェイドは頷きも、首を傾げもせず、ただ微笑むだけだった。
 よく見る筈の、口角が上げられたのみの嘘臭い微笑に、何故だか違和感を覚えた。もやもやする、ような。それでも変異まで時間が少ないのもあり、それ以上の追求は諦めて校舎の方へ向かった。

 傘を適当な隙間に突っ込みながら、駆け足で鏡舎を抜けて寮へ戻る。珍しい行動にすれ違う寮生らから胡乱な視線を向けられたが無視する。とにかく急いで個室へ戻り、作り置いていた魔法薬を毟り取って、来た道をペースを落とさずに戻る。
 ジェイドとフロイドの個室の前を通り過ぎた所で、寮へ帰ってきた所であろうフロイドと鉢合わせた。
「アズール、お疲れぇ〜」
 適当に挨拶を済ませて個室へ戻ろうとする背中に、「そうだ、フロイド」と呼び掛ける。相手は面倒そうな顔を隠しもせずに振り向いた。
「言い忘れていましたが、昨日が変身薬の服用日でした。忘れているなら今すぐに飲んでおいて下さい」
「んえ〜〜? めんどくさ……いや、飲んだわ。昨日ジェイドが飲めってうるさかったからさぁ」
「……何だって? ジェイドが?」
「なに? いつもそうでしょ」
「……。いえ、何でもありません。用はそれだけです。では」
 はぁ、と首を傾げながら見送るフロイドが嘘をつくとは思えない。記憶違いも有り得ない。しかし事実なら、先程のアズールの考察は誤りだった事になる。嫌な予感がした。殆ど走りながら、鏡を飛び出して外へ向かった。

 思いの外派手な音を立てながら開いた玄関扉に意識を向ける余裕もなく、一直線にプールへ駆け出す。先程よりも雨脚は激しくなっている。肌を叩く雫が痛い。慣れない運動に息を切らしながら更衣室を通り、プールサイドまで近づく。その時には、もうジェイドがこの場所に居ない事が分かってしまった。
「……ジェイド! 居るなら上がってきて下さい! 魔法薬を持って来ましたよ!」
 それでも声を掛けたのは、アズールの動揺だった。虚しく反響する自分の声を耳にして、はじめて無意味さに気付く程の。
 すぐさまプールから離れようとして踏み出した足がずるりと濡れた地面に滑る。バランスを崩すままに膝を打ち付けた。ぎりと奥歯を合わせながら地面を殴り跳ね上がる様に立つと、懲りずに走り出す。先生の言う「プールサイドで走ってはいけない」という言葉の意味を今更ながら理解した。それでも教えは無視をする。この際なんだ、許されるだろうとまた言い訳を重ねた。
 体当たりして飛び出したせいで、更衣室のドアから金切り音がした。後で謝ろうと考えて、閉まらなくなったそれは放置する事にした。ここにいないと分かった時点で可能性としてまず浮上していたのは、先程の場所から動いていない場合。先の状態からして、現時点で変異しきっていてもおかしくはない。もし水の無い場所で鰓呼吸に戻ってしまったら、打ち上げられた魚とまるきり同じ結末を迎えるに決まっている。
 悪い考えというのは止まらない物で、痛む脚を無理に前へ進めていても、胸に空白が生まれた様な気持ちの悪い感覚がする。そして目的地へと帰ってきた瞬間に、それは体中に伝播して、吐き気に変わった。
 いない。ここにもいない。フロイドとの会話が反芻される。飲み忘れたのではない、自らの意志で飲まなかった。何のために? 考えれば考える程、吐き気は増していく。雨は降り続いている。とっくに切れていた雨避けの魔法にも今になって気が付いた。どれだけ濡れても頭が冷めない。むしろ冷え切った思考は凍り付いてしまっている。

 ごとりと何か落とした。知らず体が震えていたのだろうか。睨む様に視線を下ろせば、スマホがあった。ポケットから滑り落ちたらしい。それを拾う気力も起きずにいたが、ぼうっと付いた画面に着信履歴が映されると同時に、無我夢中で手を伸ばした。膝や脛が濡れるのも最早どうでもいい。画面を拭いながら、映し出された連絡先に繋げた。
「……はーい、フロイドでぇす」
「フロイド! ジェイドが行きそうな場所を教えろ!」
 間延びした語尾を最後まで待たずに怒鳴る。返答まで間があった。耳から離していたのだろう。それから、え、だの、ん、だのと戸惑った音を零しながら話し始める。
「ジェイド、そっちにもいねぇの?」
「嵐の放課後に魔法薬を飲まず人魚に変異途中の状態で僕が魔法薬を取ってくると言ったのに待たず行方不明になったジェイドが行きそうな場所は!」
「はぁ!? え、ちょっと待って、何それ? マジで、あー……」
 当然の動揺にさえ苛ついて舌打ちをする。それを拾ったであろうフロイドも不満気な声を漏らす。しかし、こうしている時間さえも惜しい。今も、この瞬間にも。頭に浮かぶのは陸に打ち捨てられた海の生き物たちの姿ばかりだ。
「そういや、最近のジェイド、ちょっとおかしかったんだよね」
 脳を渦巻く妄想を砕いたのはフロイドの冷静な声だった。
「上の空っつーか、ぼーっとしてる時があってさぁ。この間なんか、二階の窓から落っこちそうになったんだよ」
「……どうして報告しなかったんです」
「アズール、マジで忙しそうだったから言わなくていいって、ジェイドが」
 ここ数日の自分を恨めしく思う。繁盛するのは結構だが、隣にほんの少しの気を配る余裕も無かったか。怒りの矛先をどちらへ向けるべきか分からなくなる。フロイドでないのだけは確かなので、苦々しくも黙って続きを促す。
「そん時にオレ、びっくりして。死にてぇの、って訊いたら笑ってたよ」
 電話越しでは相手の感情を推察する材料足り得るのは声のトーンや言葉選び。そのどちらも、フロイドは世間話でもするみたいに、明日のご飯の話でもしているくらいに軽く聞こえる。それでも長い付き合いだ。がり、と歯の擦れる僅かな音で胸中が窺い知れる。
「分かりました。質問を変えましょう。
 フロイド。ジェイドが死に場所に選ぶのは、どこだ?」
「ん~……オレらの居ないとこ? 山とか――」
 すべては聞かずにぶちりと通話を切った。悔しいが誰よりも互いを理解し合っているのは片割れだ、自己判断で動くよりよっぽど望みがある。しかし引き出してしまえば、もう相談は要らない。問題はない。どうせフロイドも捜しに来るのだからと、寮へ戻るのも先生に報告する事もせずに、スマホが再び落ちるのも構わず愚直にその場を駆け出した。

 ジェイドが最近よく登っていた山なら知っている。仕事の合間に聞かされていた山菜の種類、植生、景色の特徴。その内に付き合ってやろうと考え密かに調べていた。まさか嵐の夕刻に、こんな思いをして登る事になろうとは露程も思わなかった。
 迷い無く着いた裾野に足を掛けた。制服の袖で引っ掛かる蔓を割く。革靴が雨を吸い泥濘んだ土を散らす。何度も転びそうになりながら、必死で高みを目指した。ジェイド、と時折名を叫んで前へ進む。全てが慣れない。それでも立ち止まる方が難しかった。雨粒が張り付いて使い物にならなくなった眼鏡は早々に外し制服に捩じ込む。
「はぁっ、はぁ……! げほっ、ぐ……」
 喉が焼ける様だ。海の中では渇きなんて知らなかった。二本の足で地面を這いずり回るのがこうも辛いとは考えもしなかった。腱が切れかけているのだろう、脹脛が激痛を訴える。半ば自棄になってマジカルペンも持たずに治癒魔法を行使した。こんなにも脆いのに、たった二本ではあまりに少ない。足りない。
 木々に囲まれた景色は変わりようもないと思っていたが、上へ進むにつれて違った様相を見せ始めた。下らないと聞き流していた、取るに足らないと見逃していた、彼の好きなもの。雨粒に殴られて墜ちる木の葉でさえ、微かに弾む彼の声を連想させる。
「……ジェイド!! どこにいるんだ!!」
 いない。まだいない。嗚呼、何故気付かなかった。あいつが相談なんかするはずもないのに。片割れにすらその弱みを見せない奴が、そちらも向かない自分に手の内を明かすなど有り得ないのに。
 息が苦しくなるにつれて、体が軋むのに合わせて、見つからない焦りや後ろ向きな悔恨ばかりが思考を支配する。
「くそっ!」
 嗄れた声が溢れる。無造作に取り出したマジカルペンを投げ付ける様に薙いだ。軌道に合わせて青い光が雨を割く。光が喉の亀裂を塞ぎ血が止まる。動きの鈍る脚を補強する。風魔法を応用して、なるべく声が遠くまで届く様に。それから。
 どぱん、とバケツをひっくり返したような雨がアズールを襲う。それは一過性のものではなかった。アズールの魔法行使に合わせて雨量が増える。陸なのに偶に海中みたいだ。人間体では呼吸が苦しい。急いで雨避けを張った。視界を横切った魔法石は、いつかを思わせる程に黒ずんでいる。
「……早くお前が見つからないと、またオーバーブロットしてしまいそうですよ!」
 平時よりも低く掠れた大声か、陸上に海を造る雨か。それらが切っ掛けであったのかは判らない。ただ確かに、アズールが声を上げた直後に、音が聴こえた。アズールにはそれが声であると認識出来た。海の中ではよく聞いた、人間の可聴音域擦れ擦れの超音波。
 ジェイドの声だ。
 藪に飛び込んで掻き分け、もう感覚の無い身体を木と木の狭間へ捩じ込ませる。凡そ人が通れると思えない、獣道ですらない植物に囲まれた木々の密集地帯。一瞬のごく小さな音だけを頼りに入り込んだそこは、これまで歩いていた道よりも乾いていた。樹冠が重なり合い、雨が降り込み難くなっているようだ。人間が雨宿りをするのには適しているのだろうが、光が差し込まない為に植生に乏しい。有り体に言えば、この場所も”何も無い”。草も生えず剥き出しになった土の上に、横たわる何かが見えた。否、眼鏡など無くとも、正体を確信出来た。
 だらりと伸び切った、海中でも指折りに長い翠色の尾。うつ伏せた頭部から流れるエメラルドグリーンの海。砂浜に似た白肌に添うひと房の黒。呼吸があるか判然としない、動かない人魚の痩躯。
「ジェイドッ!!」
 喘鳴を押し退けてその名前を叫ぶ。泥塗れの革靴が微かな水溜りを蹴った。倒れ込むようにジェイドの傍へ近寄って、頭の下に手を差し入れる。触れた頬はもう冷め切っていて氷のようだ。呼吸が確認出来ない。命が感じられない。戦慄く唇を押さえ付け、押し寄せてくる恐怖心をどうにか殺す。
 小刻みに揺れる腕を叱責し、ポケットから魔法薬を取り出す。慎重に、意識の無い重い魚の身体をひっくり返す。血色を失った顔に怯んでしまう。瓶の蓋をこじ開けると、僅かに開いた唇に瓶口を押し当てて傾ける。透明な液体が注ぎ込まれる。しかし口腔内が満たされてしまうと、端から溢れ始めたので、指で掬って戻す。飲み込め。願いながら喉奥に指を突っ込むと、道を塞ぐ蓋に付き当たり、傷付けないように押し込む。液体が食道を通って胃へ流れていく。ただそれ以上に、流れず戻ろうとする量が多く、また溢れた。掬えどキリがない。零す唇を掌で塞ぐも、意識の無い体は喉を動かさない。アズールはやや躊躇してから自らの唇でそれを塞いだ。
 喉に落ちているジェイドの長い舌をアズールの舌で掬いながら追いやって、口腔を満たす魔法薬を絡ませ喉奥を舐める。筋肉の緊張による震えが舌を伝う。ぐ、と蓋を抉じ開ける動きで舌を押し込む。指よりも少ない抵抗で蓋が開き、舌先が吸われた感触で、押し込んだ魔法薬を反射で飲み込んだのが分かった。それを何度も繰り返す内に、支えていた背中の鱗を供なう感触がすべらかな肌に変わっていった。腿に乗せていた尾もいつの間にか二本の脚になっている。そうして、動かなかった胸が一度、微かでも上下した。慌てて唇を離す。透明な糸がぷつんと切れる。
「……すみません、ジェイド」
 濡らしてしまった彼の唇を手の甲で拭う。襲い来る罪悪感と後悔に胸を焦がす。こんな形でしたくなかった。無意識に噛んだ唇から血が垂れる。
 またジェイドの呼吸が止まる。肺呼吸に変わった筈なのに、鼻も口も酸素を吸わない。このままでは、死んでしまう。嫌だ。喪ってたまるか。
 目の前の冷えた肉体の事しか考えられなくなって、溜まり切ったブロットも見えないで、黒に染まるマジカルペンを高く高く振り上げた。

 しかし、アズールの腕が振り下ろされる事は無かった。その前に手の中から握る対象物が抜き取られたせいだった。
 マジカルペンが引き抜かれた。そう理解した時には、目の前に真っ白な魔法石が現れていた。眩い輝きを放ち、腕の中のジェイドを光が包み込むと同時に、彼と同じエメラルドグリーンが視界に割り込んだ。フロイドだった。ずぶ濡れの体でジェイドに抱き着いたかと思うと、耳を胸部に押し当てる。心音を聞いているのだ。暫く目を固く閉じていたが、ふっと焦りに歪んでいた表情が安堵に染まる。穏やかに垂れ下がった目と視線が合った。
「お疲れぇ、アズール」
「……ああ。お前もな」
「ん。……つか何でこんな雨降ってんの? オレ風邪引きそー」
 鬱陶しげにぶるりと手を振り、体を大きく揺すって水を切る。ついでにマジカルペンも振ると、異常な嵐が弱まった。茫然と樹冠を見上げる。
「帰ろ、アズール。ジェイド」
 フロイドは誰がどう見てもボロボロだ。アズールもそうだろう。本来なら立つ事すら難しい状態でも、痛みより腕の中の僅かな温度を手離す方が嫌で、可動域の狭まった腕と胴でジェイドを抱き上げた。ふらつきながらもどうにか立ち上がるアズールを見て、同じくふらふらのフロイドが呆れを呈しながら、ぶつかる様に肩を貸した。

 

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