海に沈んだ冷たい寮の談話室で、寮長と副寮長、その片割れがぐったりとしている。一連の騒ぎを知っている寮生達は触れるまいと遠巻きにしていた。イワシの開きになっていたフロイドが、「あ」と声を上げて、その上に重なり合っていた双子の開きを足先で突く。
「そういえば、お前らちゃんとヤったぁ?」
「ふふ、どうでしょう」
「白昼堂々、下品な話をするんじゃない……やってませんよ。演技だけです」
代わりに対面側で開いていたアズールが気怠げに答える。うわー、と気の抜けた声を発しながら、フロイドが呻く。
「もーマジでめんどくせーんだけどぉ……飽きたぁ……」
「痛い、フロイド」
げしげしと蹴り始めれば、重なっていた開きが逃げていく。フロイドは完全に脱力して、着崩れた制服を床に落とした。そこから寝息が立つには時間など必要なかった。
「おやおや、寝ちゃいましたか」
「疲れていたんでしょうね。妖精を海に沈めた挙句、騒いではしゃいで……本っ当に体力バカだな……」
「アズールは随分と疲弊しているようですが、どうしました?」
ソファに背を押し付けてずり上がったアズールが、態とらしく顎に手をやるジェイドを見下ろす。未だ肌に残る、水温に混じる温い微かな触れ合いが、怠く重たい口を動かした。
「お前と同じ理由ですよ」
◆◆
これが夢であるとすぐに分かった。
滲んだ下手な水彩画の靄が、白いキャンバスじみた空間と、小さな青い絵の具で出来た染みを覆っている。現実的ではない色彩に囲まれて、脳も霞に包まれる。
しかし、靄がかる視界の中で、それだけがはっきりと認識出来た。空間の中心点でぽつねんと座る、人型。水の抵抗によく似た重苦しさを以て、足を前に出す。苦心して、何故かそうしなければならない気がして、傍へ寄る。
それは銀色だった。傾く頭部に合わせて垂れる、銀糸の集合体。冷たくて、柔らかい。瞼を覆う銀色が、微かに震える。呆けて目を奪われていれば、それが不意に持ち上げられた。
現れたのは青色だった。それは、宝石そのものだった。銀色を映し出して、自分の姿さえも乱反射する。虚ろな海を湛えた宝石が回転して、ジェイドを捉えた。
誘われる心の儘に手を伸ばす。欲しい、とは思わなかった。ただ美しい色に触れたい。その色に映りたい。出来る事なら、傍に居たい。そして、それから。
腕は銀糸へ到達しない。突然、頭上から透明な液体がどぷりと部屋へ流れ込み、水彩の色を洗う。足が縺れる。腕が攫われる。銀色が、宝石が逃げていく。温度の無い水がキャンバスを満たして、世界がクリアに照らされる。
橙色が白の空間を包み込んだ。視界を遮る様に、ふわりと求めた四肢が舞う。上へ、頭上へ、踊りながら消えていく。宝石がぽっかり空いた眼から零れる。銀糸が波に引かれて散り散りになる。上の上で、淡い光が揺らいで、手を差し伸べた。美しい色達を、その手に収める。
これがあなたの恋の色?
囁く漠然とした音の海に問われて、頭を巡る銀と青。首を振る。
恋とは泡沫となり消えゆく物。違う、とジェイドは思う。泡になる前にどこまでも純粋な想いで刺して、腐り落ちるまで傍に居る事を選ぶのだから。
それは愛なの?
純な好奇心に満ちる声色にも首を振る。真実の愛を自己淘汰だと言うのなら、偏に我儘な情の正体では無い。それは恐らく、ただ一言で表せる物ではなかった。
白い光の中で、青が溶けた。
垂れる雫に手を伸ばせば、触れた指も溶け落ちる。
体が泡になる。
わたしの物になって。
そんな言葉に、甘く甘く溶かされる視覚と聴覚に、ジェイドは確かに抗った。首を振る。否定の句を述べる。人の物を奪うのは窃盗ですよ、なんて嘯いた。
脳味噌を丸ごと書き換えられる感覚がする。愛おしいと言う感情が生まれる。そして、ジェイドは舌を噛み砕いた。
真っ赤に染まる透明の中、疑問の音がする。どうしてと囁く音がする。千切れた舌を飲み込んで、嗤ってやった。
「あなたの物になるくらいなら、痛みを以て思考を制して、ただ一人だけを思って死にますよ」
声になった。甲高い超音波として空気を揺らした。
「……風邪を引きますよ」
世界を満たす水が地面へ吸い込まれる。視界が少しずつ暗くなる。雨が止んだ。振り向いた視界の中、綺麗に歪んだ青が在った。雑じる澱みは形容し難い、愛と似た想いを見せる。
首を振る。形容する必要は無かった。伝える意味は何処にも無い。ただ此処に在ればいい。
背を向ける銀糸を見つめる。遮る淡い光に視線を移す。その光に、恋の色を見た。ああ、なんてチープな色彩。
死んでたまるか。笑顔の奥にナイフを隠し持つ。振り回す事をどうか笑って赦して、と遠ざかる背中に微笑んだ。
コメントを残す