したいこと

 

 付けっぱなしにしていたテレビから、不意に聞こえてきたタイトルコールに、画面に集中していた意識が引き戻される。最近出始めた若手タレントは夕方の終わりを告げていた。
 集中しすぎたな、と広げていた資料を重ねて束ねる。と、正面で同じく作業していた茨が弓弦を見る。目が合うと、彼も膝に乗せていたノートパソコンを閉じて、数時間沈んでいたソファから腰を上げた。
 トントン、と紙束の端を合わせている弓弦のそばに寄ってきて、そのまま弓弦の座っているソファにどさりと座った。几帳面に揃えた束をおさめてから、弓弦はそちらをじろりと見遣った。
「もっと静かに座りなさい、埃が舞いますよ」
「あー、小言は勘弁してくれませんかね……」
 茨はそれをうんざりした様子で手を振って、それからさり気無く距離を詰める。
「せっかく、『恋人』とのプライベートなんですから」
「……なんですか、それは」
 ソファに乗せていた手に体温が触れて、弓弦が少し距離を空ける。
「事実じゃないですか。今更、否定なんかさせませんよ」
「言い方が気になっただけです。まぁ、たまに撤回したくもなりますが」
「あんたなあ」
 冗談のつもりで笑うと、口を曲げた茨がさらに身体を寄せてくる。咄嗟に下がった弓弦の背中が肘掛けにぶつかる。
「あ、ちょっと……」
 茨の手が、逃げ腰な弓弦の手を掬い上げるようにして握った。簡単に振り払えるくらいの、優しい力で握られて戸惑う。茨は動きを止めた弓弦の手をぐっと引いて、顔を寄せる。弓弦は音が漏れそうな唇を噛んで、平静を装って、慎重に口を開く。
「……なんです?」
「そろそろ、いいんじゃないですか」
「は……」
 こつり、と額同士がぶつかる。その小さな面積から伝わってくる熱は、体ごと溶かしてしまいそうだった。そろそろ。脳内で茨の言葉を反芻して、思考が止まる。
「もう俺達も、こういうふうになってから一年経つんですから」
「……そう、でしたか?」
「そうだよ」
 返事に窮して聞き返せば、ぎゅう、と握ったままの手に力がこもる。どうにもくすぐったくて顔を背ける。
「弓弦」
 そっぽを向いた頬に手が触れた。強くもない力だったが、それでも向かい合されてしまう。
うろうろと暫く彷徨った視線を、そろりと茨に向ける。改めて視界に入れた茨は、弓弦よりも緊張した面持ちでじっと見つめていた。
「……まあ、嫌だったらとっくに殴ってきてますよね?」
 それを隠すみたいに、茨は得意げな笑みを作った。頬に当てた指がするりと滑り、唇に触れる。その感触で、弓弦は詰めていた息をゆっくり吐き出した。それから握られている手をするりと離して、指を絡めて繋ぎ直す。
「えっ」
「え?」
 途端にびくりと茨の手が揺れ、目前にあった顔が離れた。何事かと顔を上げれば、そこには顔を真っ赤にした茨がいた。
「…………なんですか?」
「何って、あんたが急に……」
「手を繋いだだけですが」
「そうですけど!」
 はぁー、と茨は大きく溜息をついて、ずれていた眼鏡を掛け直した。そして恨めしげに弓弦の方を見て、ぎゅうっと指を握りしめた。
「じゃあもうキスまでやっていいですか」
「え? そういう話ではなかったのですか?」
「え、」

 

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