かちゃん。
微睡みの最中に聴こえてきた軽い衝突音で、ふわふわと夢を漂っていた意識が持ち上がった。こぽり、こぽりと泡の立つ音を聞きながら、緩慢にも起き上がった。あれはお湯を沸かす音だろうか、と寝惚け眼を擦りながらジェイドは考えた。
未だ夢見心地なまま、ベッドから地面に足を移動する。裸足なのに爪の先まで温かい。それを不思議に思ったあと、太腿に残る鬱血痕に気が付いてしまった。
「ジェイド、朝食が出来ましたよ……おっと」
丁度のタイミングで顔を覗かせたアズールが、ベッドに座って俯くジェイドを見つけた。
「起きてましたか。おはようございます」
「……おはようございます」
「はは、随分と良い声になりましたね」
渇いて掠れたジェイドの声にくすくすと笑みをこぼす。ジェイドは楽しそうなアズールをじろりと睨んで、手近にあった枕を引っ掴んで投げ付けた。しかし彼はそれを「危ない」と言いながら受け取って、それから笑みを深めた。
「なに笑ってるんですか」
「いえ、別に?」
「……はあ」
何が嬉しいのか、口角を上げたまま枕を戻しに来るアズールに、ジェイドはひとつ溜息をついた。昨晩のまま眠ってしまったから、ほとんど裸な自分の体にシーツを巻きつけ、それから手を振ってアズールを追い出した。
着替えを終えて、ジェイドもダイニングに顔を出す。彼も、アズールも随分とラフな格好をしている。日曜日である事を全身で主張しているようだった。普段のきっちりとした仕草や表情もすこし崩して、二人は朝食の並ぶテーブルについた。
「ジェイド、体調はどうですか?」
「見ての通りですが」
「ははっ。まあ、今日は休みですから。二度寝でもしましょうか」
喉を擦りながらじとりと恨めしげに見つめてくるジェイドへ、対照的に機嫌の良いアズールは水を入れたコップを差し出した。ジェイドはそれを無言で受け取ると、一気に飲み干した。そして何度か咳払いをして、ほうと息をつく。
「治りました?」
「ええ。ろくに水も飲まずに喉を酷使するとこうなるんですね。勉強になりました。ねえ、アズール」
「……すみませんでした。今後は気を付けますよ」
「ぜひ、そうして下さい」
ひとしきり責め立ててから、ジェイドはふっと不機嫌を引っ込めた。そして今度はテーブルに並ぶ色彩に興味を移す。
二人分の朝食は、普段より幾分か豪勢だった。ハムエッグマフィンにカプレーゼ、ブルーベリーソースとヨーグルト、それからひとつだけのパンナコッタ。そこに空にしたコップを並べて、清々しい満面の笑みで手を合わせた。
「いただきます」
「どうぞ」
さらりとしたシャツの袖をまくって、手前のマフィンを両手でつかむ。遠慮することもなく、ジェイドは大きな口を惜しみなく開いて齧り付いた。
「焼きたてですね。食感も良いですし、味のバランスも素晴らしいです」
「ええ。そういうの、好きでしょう」
「そうですね。かなり好みです」
自慢げなアズールに頷いてから、ぺろりと一息に食べる。舌と歯でじっくり味わって飲み込んで、真っ白いナプキンで手を拭った。
今度は手元に用意されたフォークを手に取って、四角い皿を近くに寄せる。新鮮なトマトの表面をつるりとしたモッツアレラチーズごと突き刺して、オイルが零れないように口に放り込んだ。
「良いトマトですね。チーズも弾力があって、美味しいですよ」
「今朝買ってきましたから、新鮮なんですよ」
「ああ、そうでしたか……ありがとうございます」
皿の中身をすっかり食べてしまってから、今度はスプーンを手に取った。小さなカップに入れられたブルーベリーソースを持ち上げて、透明な器に流し込む。器の中に鎮座する柔らかいヨーグルトの丘をさらさらと川みたいに流れていく。
「……山みたいですね、とか思ってます?」
「分かります? ここの凹凸が、先月に登った山によく似ているんですよ」
「分かりませんね」
素気無い返答にも笑顔を崩さず、ジェイドの口に白い山が運ばれていく。川ごと切り崩されて、その小さな山はなくなった。
最後に残った小さな飾り皿を手に取ると、ジェイドはアズールを見る。いつの間にか一緒に食べ終えていた彼は、肘を付いて、隠しきれない柔らかい笑顔でじっと見ていた。ジェイドもにこりと笑い返して、綺麗なスプーンを手に取った。
「おやつがあれば許すだなんて、もう子供じゃないんですから」
「許してくれないんですか?」
「ふふ。無いよりはマシ、ですかね」
スプーンの先でつつくと、容易く脆い体に沈み込んだ。そのまま真っ白い身を掬い取って、小さく開いた口に運ぶ。丁寧に口を動かして、綻んだように笑う。
「気に入ったようで何よりですよ」
そう言って微笑むアズールの鼻先に、彼はもう一口掬ったパンナコッタを差し出した。アズールは面喰ったような顔で瞬きをした。
「美味しいのでおすそ分けしますよ」
「……本当、お前ってすごい奴だよな」
「そういうの、好きでしょう?」
憎らしげにジェイドの綺麗な笑顔を見て、それから諦めた風に息をついた。
「好きですよ」
開いたアズールの口に、崩れかけたパンナコッタが運ばれた。複雑な顔で口を動かす彼を見て、ジェイドはぷっと笑いを零した。
コメントを残す