嘘をつくなら

 

「好きです」
 喧騒な廊下を歩く背中に、つぶやくでもなく、明確に言葉が投げ掛けられた。自らの一歩後ろを付いて歩くのは二人。そのうちの右側から、まるで挨拶でもするように、なんでもないことを思い出したかのように、そんな軽い調子で、出会ってこの方一度たりとも聞いた事もない発言が落とされた。淀みもなく本日の予習内容を脳内で反芻していた筈のアズールも、一瞬だけ聞き逃し、すぐに脳髄まで言葉の意味を理解し切ってつんのめった。
「な、……んですか、急に。もうキノコの話は聞きませんよ」
 既の所で体勢を保ち、今しがたの発言をどうにか解釈し直して、吐き捨てるように言った。ちらりと目だけで犯人を見れば、本当になんでもないような顔でアズールを見つめて笑った。
「すみません。言葉足らずでしたね。アズールの事ですよ」
「は……、はぁ?」
「好きです、アズール」
 にこりと滑らかに上がった口角には何の衒いも見受けられず、アズールはただ首を傾けるほかない。睨むついでに視界に入った隣の幼馴染は、眠たげに欠伸をするだけだった。それどころか、興味を抱いた目を片割れに向け、口を開く。
「どんなとこが好きなの?」
「そうですね、例えば……昨日、僕が紅茶を差し入れに伺った時の事ですが」
 当たり前に会話を始めた二人に、ちょっと待てと胸中で静止をかけた。しかし口に出来なかったのは、余りにもその態度が悠然としていて、もしや僕が勘違いをしているのでは、と自らを疑い始めたせいだった。振り向いた妙な体勢のままで、和やかな幼馴染のさまを睨む。
「もう随分と遅い時刻だったので、そろそろ切り上げてはどうかと提案しました。すると、アズールは僕の紅茶を受け取った後、『今手を付けている物は終わらせる』と言って作業に戻ったのです」
「へー」
「一時間後にVIPルームを出る姿を見た時、好きだな、と」
「わかんね~」
 分からないのは僕の方だと毒づきながらも、途轍もなく身に覚えのある一連の話に、何だか居た堪れないようなむず痒い心境に襲われる。また生欠伸をしながら、フロイドが「他には?」と話を続けるのを聞き咎め、慌てて体ごと振り返った。
「無駄話はそれくらいにして下さい。遅刻しますよ」
 同時に鏡合わせの双眸がアズールを見て、それからにこりと円弧を作った。
「そういうところも好きですね」
「えー? なんで? ジェイドってたまに訳分かんないなー」
「……はぁ」

 アズールの午前の授業は錬金術だった。そして、クラス合同の日だった。まるで狙い澄ましたかのようなタイミングに溜息をつきながら、ペアを組んだジェイドの対面で大釜を掻き混ぜる。
「色変え薬とは随分と簡単な課題ですね、アズール?」
「……そうですね。以前に依頼で作成した髪染め薬と同じ要領ですから」
「流石、よく覚えていらっしゃる」
 いつもなら課題の途中では雑談をほぼ仕掛けてこないジェイドが、今日はそういう気分であるのか、口が回る。フロイドでもあるまいし、とは内心でのみ呟いて、適当に、しかしおざなりにはならないように材料を投下していく。
 ジェイドがしっかりと液体を混ぜているのを見て、アズールは手を離す。それから凝縮した魔力を丁寧に注いだ。毒々しい色をしていた中身は段々と澄んだ水色に変わっていく。思わず口元に笑みが浮かぶ。この、材料とは真逆の色になる瞬間が嫌いではないのだ。
 ふと真正面から笑い声がして、はっと顔を上げると、ジェイドが珍しい柔らかな笑い方をしてアズールを見ていた。
「僕、貴方のそういうところが好きですよ」
 からかいには見えない、本気の表情にどきりと心臓が跳ねる。そしてそんな自らの感情に愕然とした。
 ――よく考えろ。相手はあのジェイドだぞ。
 自らへ言い聞かせながら、らしくない笑顔を見せるジェイドを睨みつける。それでも顔へ血が集まっていくことは抑えられない。舌打ちをしたその瞬間に、ジェイドがふっと息をこぼした。
 それから、くすり、と心底馬鹿にしたように笑ったのだ。
「――なんて、嘘に決まっているじゃないですか。まさか、本気になんてしていませんよね?」
「……は」
「今日は何の日か……お忘れではありませんか? ふふふ……」
 困惑しながらも、アズールは正直に彼の言葉について思考する。今日は四月一日。特に変わったイベントも学園にはない。しかし、そういえば最近、誰かに今日の事を聞いたような――
「……あっ!?」
 途端に悲鳴のような声が出て、隣のグループから白い目が向けられる。アズールは完成した薬品に目を落として、そこに映る恥に染まった自らを見て、今度こそ舌打ちをした。
 やられた。今日は『嘘をついても良い日』なのだ。異世界の文化ではあるが、それを聞いたあの日、アズール達は確かに実施してみようと約束を交わした。頭を掻き回したくなる衝動を抑え、暴れ回る心臓を無理くり押さえつけ、大きくため息を吐き出した。
「そう、今日は嘘をつく日です。お見事な騙されっぷりで嬉しい限りです」
「……お前なんか嫌いだ」
「ふふふ」
 憎たらしい笑い声と同時に、午前中の終鈴が鳴り響く。アズールは一度ジェイドを強く睨んで、それから顔を背けると薬品を瓶へ丁寧に詰めた。

 ◇

 苛つきながら海藻を齧るアズールを、大きな口を開けてハンバーグを飲み込んだフロイドが、きょとんと不思議そうに見る。それから表情通りに首を軽く傾げ、「あれ」と呟く。
「どーしたの? 今朝のアズール、ちょーご機嫌だったじゃん」
「知りません」
「え〜?」
 もう考えることすらしたくなくて、ただ只管にサラダを詰め込む。フロイドは不機嫌に口を尖らせたかと思うと、すぐにけろりと笑顔を見せる。
「そういえば、アズール! 『嘘をついて良い日』どうだったぁ?」
 忘れたい端から触れられ、危うく海藻を喉に詰まらせかける。軽く咳き込みながら「何がです」と問えば、フロイドは上機嫌に話し始める。
「実は昨日ね、ジェイドがすげー面白いこと言っててさぁ。嘘ついても良い午前中でいーっぱい『嘘っぽいこと』を言っといて、昼のチャイムまでに『全部嘘でした』って嘘をつくんだって。あいつ、マジで性格悪いよね」
「…………えっ」
 かたん、と手からカトラリーが落ちる。フロイドは楽しそうに笑っていて気が付かない。アズールは急いでカトラリーを拾い上げながら、高揚のまま顔を上げて食堂内を見回した。
「あ」
 真横を向いた瞬間、探していたエメラルドグリーンを見つけた。目を見開いた金色と空色には、それぞれに紅潮しきった情けない顔が映っていた。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA