バースデーパーティーが執り行われる談話室の机には、色とりどりの料理が整然と並び、奥には二段重ねのケーキが鎮座している。パーティーの場というのは頭が緩む人間が多く、普段の数倍もスムーズに情報収集が出来る。主役では無いアズールも随分と有意義に過ごしていた。
有名な企業とのパイプを持っている上級生と話し終えた所で、ふと視線を感じて振り向くと、本日の主役の片割れがアズールを見ていた。目が合うとにこりと隙のない笑みを浮かべる。あちらも随分楽しく過ごしているようだった。目ぼしい相手は粗方接触していた事もあり、機嫌も良かったアズールはそちらへ歩み寄った。
「お疲れ様です、アズール。楽しんでいるようで何よりです」
「ええ、それはもう! そちらも随分楽しそうに見えますよ、ジェイド」
「もちろん楽しいですよ。色々とお話も聞けますし、食事も美味しいですから」
にこ、と笑顔を貼り付けて対話していると、横目で二人の様子を見ていたフロイドが面倒くさそうに席を立った。二人してそちらを目で追うと、鬱陶しげに手を振られた。今日はこれに付き合う気分ではなかったらしい。
「ところで、貴方はまだ食事に手を付けていませんでしたよね?」
「まあ。ですが、心配は無用です。僕はちゃんと、忘れずに、計算して食べますから」
「それは素晴らしい! では先週の週末に夕食を抜いたのも計算だったのですね」
「あの日は……いやでも、ミルクティーは飲んだし……それにお前も忘れてただろう!」
アズールは先月のハロウィーンパーティーを思い出しながら、それを言に含んで言う。聡い彼は当然それに気付いて、賞賛する振りをして明け透けに反論してきた。先週と言えば、寮生の不手際で発生した不利益を一晩掛けて取り戻した。疲れ過ぎて三人して食べた気になりながらミルクティーを飲んだ、あの怠さは未だに鮮明な感覚だ。
「まあまあ、今日はパーティーなんです。無意味な論争はやめにして、一緒に食べましょう」
「誰のせいだと思ってるんです」
「貴方のせいではありませんでしたか?」
咄嗟に反論が出ずに黙り込むと、くすりと笑われて勝敗は決した。ズキズキと頭痛がする気がして眼鏡を掛け直す。しかし、ジェイドの言葉も尤もだった。折角のパーティーを皮肉や嫌味で消費するのは勿体無い。ジェイドに促されるまま、近くの席に腰掛ける。
普段は着用しないカジュアルな装いをした幼馴染を思わずしげしげ眺めてしまう。目が合うと、また完璧な笑顔が返ってくる。これを見ると嫌味の一つも言いたくなってしまうが、今日ばかりは口を噤む事にした。さっさと去っていったフロイドを思い返し、彼のためにも余計な事は言わないと決める。
「本日のラインナップはどれも美味しいですが、僕は特にこちらがおすすめです」
皿の海から、持ち上げた皿とアズールの前にあった物を器用に入れ替えた。アズール程ではないが相当に舌の肥えた男のおすすめは期待できる。そう考えて、恭しく置かれた皿に視線を落とした。
そして思い切り顔を顰めてしまったのは、仕方がない事だった。
「おや、お気に召しませんか?」
「……お気に召すと思いました?」
「ええ」
悪びれもせず、切り刻まれたタコを乗せた皿をもっとアズールの側へ寄せてくる。
「お嫌いですか?」
「別に嫌いじゃありません。でもわざとでしょうが」
「何のことでしょう。僕はただ、貴方と好きな物を共有したいだけですよ」
「良い迷惑ですね」
表情も声色も変わらない相手から顔を逸らして拒絶を示す。どう言われようと、これが楽しんでいる時の態度である事は分かっている。
「でも、本当に美味しいですよ。メニューの参考になるかもしれません。いかがですか、一口だけでも」
つん、と軽く肩をつつかれる。折角余計な事は言わないと決めたのに、相手がこの態度では無意味だ。大きく溜息を吐きながら、文句を続けるべくジェイドへ向き直った。
「損はいたしませんから、ね?」
振り向いた拍子に肩が動いて、つついていた手が引っ込められる。同時に、アズールの喉まで出掛かっていた言葉も引っ込んだ。遠くから刺す様な視線があったせいだ。見ずとも正体は分かる。片割れと喧嘩して面倒な事にするなよ、と開いた瞳孔が告げているのだろう。
空気を飲み込んだアズールに、ジェイドは「どうしました?」と真面目な顔をする。
「……分かりました。食わず嫌いは良くありませんからね。一口だけです」
「ああ、よかった。ではどうぞ」
答えるなり、目の前にタコが現れた。一瞬固まって、それからジェイドを睨む。いつもの笑顔で、彼の好物をアズールの口元へ差し出している。
「何ですか、これは」
「実は今日、何の準備ももてなしもお手伝い出来なかったので落ち着かなくて。なので、ぜひ貴方へさせて頂きたいのです」
「要りません」
「遠慮なさらないで。はい、あーん」
「僕は稚魚じゃありませ――むぐっ!?」
文句の途中で、あろうことかそのままカルパッチョが口に捩じ込まれる。驚いてカトラリーごと噛み付いてしまって、じいんと歯に痛みが広がる。涙目になりながらジェイドの腕を掴んで引き抜かせ、飲み込みにくいそいつを咀嚼する。自らの本来の脚を否が応でも想像して気持ち悪くなった。それでもどうにか嚥下しきった。すぐさま近場にあったコップを引き寄せて一気に呷る。
「いかがでしたか?」
「さっ……」
最悪でしたよ。そう言うつもりで口を開いたものだから、ジェイドの方を向いた瞬間に喉が詰まって咳き込んだ。
「美味しかったでしょう? もちろん、貴方のご実家の物には劣りますが……これも十分に良い味ではないでしょうか?」
ぱくぱく酸素を食らう魚の様に口を動かして、誤魔化すためにまた水を注いで口を付けた。
いつもの隙の欠片も初めから無いような笑顔で居てくれたなら、幾らでもいつもの文句が言えたのに。再度、未だにカルパッチョのPRを続けるジェイドに視線を向ける。尖った歯を隠さずに、きらきらと幼げに瞳を輝かせている。これが計算で作られた物だと言うなら、もうアズールに勝ち目はない。
もう一度眼鏡を押し上げ、息を吐く。
「まあ……そこまで悪くはありませんでしたよ」
「ふふふ、それは良かった。では、好きになって頂けましたか?」
「は」
何の衒いも無い顔で、ジェイドはゆるりと笑った。アズールは顔を顰めつつ手元のタコにフォークを突き刺し、頷いた。
「まあ、好きですよ」
目を合わせて言い切ったら、ようやく完璧だった笑顔が少し崩れた。
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