第一幕
がちゃりと施錠の音が聞こえると、玄関扉に背を向けてリビングへと戻った。カーテンの開いた窓からは朝の光が差し込んできている。特に意味もなく窓から外を見下ろすと、丁度ジェイドが横断歩道を渡る姿が見えた。しばし遠目でも目立つ後頭部を眺めていたが、背後からの大欠伸にはっとして窓から手を離す。
「一緒に行けば良かったじゃん」
ラグに寝っ転がったままのフロイドから、そう欠伸混じりに告げられる。こちらに目を向けるでもなく、手に持ったスマホを眺めたままの態度に呆れつつソファに腰掛けた。
「行儀が悪いですよ」
「家ならいいって言ったのアズールでしょ。なに、話逸らしてんの」
「……自宅での生活は普段の所作にも現れます。床に寝るのはやめて下さい」
「え~……はぁい」
ぶす、と頬を膨らませてスマホからようやく視線を僕へ向ける。何時まで経っても陸に馴染まない彼の態度を見ていると、将来的にどちらへ住むのか考えている自らの思考が無駄な気がしてくる。こいつも計画に含むのだから、嫌がられればそこまでだ。気だるげに対面側のソファに座った彼の目がじとりと僕を見ている事に気が付いて、沈みかけた意識を眼前に戻す。
「何です、その目は」
「…………めんどくせ」
「は? 今、何て言いました?」
「えー、『一緒に行けば良かったじゃん』って言ったぁ」
どさり。だらけて投げ出されたフロイドの手から雑誌が滑り落ちた。お気に入りであろうページが開いて落ちたものだから、きっとそのページはくしゃくしゃに折れている。溜息を吐けば、フロイドが顔を顰めた。
「ねー、なんで?」
「なんでも何も、二人で行く必要が無いからです。一人で十分持ち帰れる量ですし、休日であろうと家で出来る作業もあります」
「やってねーじゃん」
「今からやるんだよ!」
言いながら立ち上がって鞄を取りに行く。それをフロイドは半目で見ている。居心地悪く感じながらも鞄を探り、タブレットを取り出した。未だ入れっぱなしになっていた紙袋は見ない振りをする。電源を入れながらソファまで戻り、どかりと座った。脚を組んだ上にタブレットを置いて固定する。眼鏡を掛け直し、必要な作業を頭の中で組み立てる。
不意にかたりと窓が音を立てたので、意識がそちらへ向いた。視線だけ向けると、どうやら風でベランダのプランターが揺れたらしい。最近の風は随分と冷たい事を思い出して首を擦った。そこでふと、送り出したジェイドの首元にマフラーが無かった事を思い出した。しっかり者の癖をして、抜けているところは抜けている。風邪を引く事はないにしても、気付かぬうちに冷え切った手が買い物袋を落とすかもしれない。あまりの寒さに寄り道をして、要らない物を買う可能性もある。以前までの癖でコートを着ている事だけ確認して見送った事を後悔する。
「だからぁ~……もー、うるさいんだけど!」
「は?」
「それ、指! そんなに心配なら今からでも行けばいいじゃん!」
指、と言われて自分の手元へ意識が向いた。無意識にタブレットの角をカリカリ爪で引っ掻いていたらしい。折角整えていた爪が少し凹んでしまっている。
「……失礼しました。でも、別に心配している訳じゃないです。外が寒かろうと荷物が重かろうと、どうにでもする奴でしょう。あいつは」
「じゃあ、なに?」
心底、面倒事に立ち会っているという顔をしてフロイドが僕の手元を睨んでいる。
「もしかして、プレゼント、マジで買えなかったの?」
「えっ?」
先程触れたばかりの包装紙が予想外に話題に上って、思わず首を傾げてしまった。フロイドも同じように首を傾げて、続ける。
「買ったのに渡せなかったから、オレにああ言ったのかと思ってたんだけど」
その通りです、とは言えなかった。口を噤んで目を逸らす。それをどう受け取ったのか、フロイドは「ふうん」とだけ呟いた。
「ねえ、どうすんの? オレ、ずっとは待てないからね」
「……ええ、分かっていますよ。もちろん、お前達が帰るまでには決着を付けるつもりです」
ちらりと鞄に仕舞ったマフラーを一瞥して、下を向く。この生活が期限付きである事は重々承知している。彼らが海に戻れば、今のような余裕は無くなる。このまま、なあなあな関係で三人の時間が共有できるのは、今だけだ。
そんな意図を持って告げた言葉で、フロイドが急に立ち上がった。驚いて顔を上げると、なぜか嬉しそうに口を開けて僕を見下ろしていた。
「マジで言うの? アズールが? ふーん、あー、そっかあ! だから買えないって、あー!」
「な、何ですか、急に」
「ごめーん。アズールがそんなに真剣だとは思ってなくってぇ」
あは、と口を開けて笑いながらソファに戻ってきた。態度の変わりようを気味悪く思いながら目で追うと、いやに優しい目で見られた。死ぬほど居心地が悪い。咄嗟に立ち上がって、鞄から包みを引っ張り出してマフラーを取り出す。フロイドは首を傾げてそれを見ている。
「追加で買う物を思い出しました。少し出てきます」
「えー、そんなんあったっけ?」
「留守は頼みましたよ」
ハンガーからコートを剥いで着ながら玄関に早足で向かう。ポケットには財布だけ突っ込んで両腕を通す。ブーツを履いて、ドアノブに手を掛けた所で、扉が引っ張られた。
「あ」
「おや? お出かけですか?」
冷たい空気と共に耳慣れたテノールが室内に流れ込む。予想通り冷え切ったであろう首元が赤くなっているのを見て歯軋りする。ジェイドは不思議そうにそれを見つめて、ふと手元に視線を遣った。
「新しいマフラーですか? 良い色ですね。お似合いだと思います」
「…………ええ、そうでしょう」
ふむ、と顎に手を当てて、わざとらしく微笑みながらジェイドはアズールの肩を叩いた。
「では、以前のマフラーは僕が頂いても?」
「誰がやるか」
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