裸足が砂を掻き分けていく。陸に馴れない人魚のように態と長い両足を引き摺って、白い砂の上へ二本の線を引いている。
細い轍を靴で踏みながら、利発に伸びた背中を追う。帳が夜の砂浜を蔽い隠しているから、うっかり見失わないように目を凝らした。少しのぶれも許さない背筋は、ただでさえ高い背丈をより大きく見せる。
「……ジェイド」
白いつま先が直濡れた砂を踏む。ぐしゃりと水を含んだ音が聞こえる。両手にシックな革靴を持って揺らす姿は自由だ。それでも、ピンと伸びた姿勢と着崩れないシャツが彼を窮屈な社会へ押し留めている。
海岸線の手前で、靴を丁寧に砂浜へ並べた。やっと背を曲げたかと思えば、スラックスの裾を折り畳んで足首を晒し、また几帳面な模範生の背中を見せる。僅かに髪が靡いて、黄金色の瞳が覗く。
「はい、アズール」
瞳が月明かりに反射する。掛かる睫毛が静かに上下する。従順な言葉で、殊勝な表情で、ゆっくりとした足取りで離れていく。視線が不意に外れた。重心を前へ倒して、翠色の髪がふわりと浮いた。
アズールも引っ掛けていた靴と靴下を捨てる。びしゃり、音を鳴らして白い砂を踏み荒らす。倒れかけた背中へ腕を伸ばせば、待っていたかのように手を握られた。
折り曲げた背中から薄い腹に手を置くと、小刻みな筋肉の振動が伝わる。息を抜くような笑声が聞こえる。何ですか、と問いながら両手で腹を押さえつければ、震えは少し大きくなった。
「入っちゃいましたね」
「え?」
一瞬では解せなくて、問い直す。触れる肌の体温を感じる。変な想像をしてしまって腕を離すと、今度はくつくつと聞こえる声で笑った。悔しさに顔を歪め、一歩離れる。ぱしゃり。水が足首に纏わりついた。視線を落とし、数回瞬きをした。水へ裸足の足首が浸かっていた。
「……しまった!」
慌てて数歩引き下がる。スラックスの裾が水を吸って重い。面倒な後処理を思い嘆息した。ぱしゃぱしゃと水を蹴る音が近付いてくる。顔を上げると、機嫌よく口角を上げた鋭い歯が見えた。笑みに垂れ下がる目元に、急いていた精神が眠りに就く感覚がする。濡れた裾を引っ張り上げて、誘われるままに傍へ寄れば、また黄金と橄欖が柔らかい色になる。
遊ぶ両手を優しく握って、水を四つの脚でかき回す。弱い波が足首を撫でる感触が心地良く、知らず目を閉じていた。こつんと額が熱に触れて、瞼を上げれば、美しい天体が目の前にあった。手を離して、今度は指を一本一本握り込む。その度に細まる瞼がひどく愛おしくて、「ジェイド」とつい名前を呼ぶ。想像以上に甘く響いたのが恥ずかしくてまた目を閉じる。
「アズール、目を開けて」
すると、すぐに瞼へ唇が落とされる。強請る声が人間の体内に熱を生む。目が合えば、二つの光がきらきらと煌めいた。背景に映る星々のどれよりも気高く輝く星だと思った。その星は、アズールの瞳を覗き込む。まるで美しいものでも見つけたかのように、眩しそうに、いとおしげに目を細めた。
「お前の瞳は星のようですね」
だから、先手を打った。絡めた手を引き寄せて、再度額を合わせる。
「星ばかり見つめていたから、そうなったんじゃないですか」
しばたいた瞳がおかしそうに笑う。手の甲を絡まった指で撫でながら、「あなたこそ」と言う。
「ずっと海ばかりを見ていたから、そんな風になったのでしょう?」
揶揄う言葉が、ひどく優しく、甘い。心臓がとくりと震える。
片手の指をそっと解いて、くっつく頭を撫でる。アズールの背中へ、解放した腕が回される。包む様に、どこか甘えるように抱く腕が温かかった。じっと目を見れば、彼は微笑んで、その瞼を下ろす。額を離して、首筋を撫でる。小さく吐息が漏れた。それを食むように口付ける。何度も離れては近付いてと繰り返すうち、酸素を求め唇が開く。誘う様に薄く開いた目に、衝動を抑える事もなく後頭部を掴んで引き寄せた。
触れていた水が、いつの間にか温くなった。波が少し遠くまで届き始めている。海岸線には、つま先だけ濡れた革靴があった。微かな朝の気配に、そっと唇が離れていった。
「帰りましょうか」
繋いだ指が解ける。やけに風が冷たく感じて、追い縋る様に手を握る。するとジェイドは少し驚いて、それから楽しそうに微笑んだ。
「いいんですか? 誰かに見られてしまうかも」
「平気ですよ。こんな時間に起きているのは、きっと一人か二人くらいだ」
軽く足先を振って水を払う。空いた手は脱ぎ捨てた物を拾う。アズールの靴は半分程度濡れていた。また嘆息する。明日の事を考えて、もっと直近で今からの事を考えて、それから握り返された温もりに全て浚われた。
細められた星色に、深い海色が映っている。アズールの海と、二人を包む大海を映している。少しだけ踵を上げて近付けば、アズールの海だけが映る。ただそれだけが映っている。 受容するように薄い瞼が静かに落ちた。胸を占める熱い情動を殺しながら、黄金の輝きを殺さないように、飛び切り優しくキスをした。
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