遠くで鳴る銃声から逃れ、廃屋の壁に疲弊しきった体を預ける。幸いにも気配は傍に無く、漸くまともな呼吸を始めた。詰めていた分だけ不足した酸素を取り込む。銃声の最中に悲鳴が混じり、抗争の終わりを知ってまた息を止めた。
慌ただしくも横切り、近づき、遠ざかっていく無数の足音に耳を澄ませる。自らの心音すらも煩わしいほど、この世界は孤独で、煩雑だ。指を掛けたままのトリガーが熱を持っている。ともすれば震えてしまう腕を律し、全身に神経を通わせる。
「はっ――」
堪え切れず短い吐息を零した、その直後だった。
遠かった筈の足音がひとつ、耳元で鳴った。
「……っ!」
薄まりかけていた集中力を瞬時に掻き集め、全力で地面を蹴る。自らの立っていた地点から数メートルほど飛びのいた所で、軽い発破音が多段階に劈いた。
「おや、外しましたか」
これまた軽い調子でそれに交差した感嘆詞に、背がぞくりと冷える。
自らが地面を擦った足跡の全てが掻き消える、相手の一撃は強烈であった。思わず足元を確認する。まだ体力は十分に残っていた。
「……っ、余裕ぶっていられるのも今のうちですよ!」
一気に切り返し、決して軽くはないアサルトライフルを構え、確実に彼の額へ照準を合わせる。少し眉を上げた、涼しげな顔を目の前にする。動揺を隠しきれないこちらとは違って、彼の口元は未だ笑みを湛えていた。
「ふふ……存分に楽しませて下さい、アズール」
下がり気味の眉根に反し、その口角は上向いた。その手の中に納まったサブマシンガンが緩慢にも持ち上げられるのを視認した瞬間に、ずっと押さえていたトリガーを躊躇わずに引いた。
当然、響く銃声。しかし飛び退いたのはアズールだった。途端に広がる血の匂いに顔が歪むのを自覚する。そして、それは脚部を蝕み始めた熱のせいでもあった。
痛みを無視して発砲する。断続的に放たれるライフル弾は地面を抉っていく。そして十発目、やっと土以外を切り裂いた。ぱっと広がる赤色に、「やった」と興奮が漏れる。彼の長身は、傾いだ。しかし、それだけだった。
「まさか、これで終わり、だなんて言いませんよね?」
腕を振り払った、と思った瞬間には、9ミリの銃口がこちらの額を睨みつけていた。彼の腕からはとめどない鮮血が零れ続けているのに、その表情は張り付けた笑顔から動かない。むしろ、より一層、楽しそうに笑っている。
「貴方の実力はその程度なのですか?」
「いっ……!」
再度、脚に突き刺さる熱い痛みに呻く。すると彼はくすりと小馬鹿にした笑みを落とす。咄嗟に睨み付けると、笑いに震えながら「すみません」と気の無い謝罪をした。
かっとなった衝動のままに、砂塵の立つ荒野をつま先で抉る。急激に距離を詰めれば、やっと笑顔が驚愕に変わる。そのまま銃口を剥き出しの額にくっつける。
「ジェイド、お前ともあろう者が――油断したな!」
黄金色がゆっくりと見開かれていくのを眺め、そして、ゼロ距離の最中にトリガーを引いた。
パン、と何かが砕ける音がした。
彼の額から飛び散ったのは、血――ではなく、硝子片だった。
「なっ!?」
地面に倒れ伏した筈の身体はすぐさま跳ね起きて、無防備になった胸倉を掴みあげた。そのままの距離で、今度はこちらが額に銃口が突き付けられる。
「シールドアイテムです。ここまで取っておいて正解でした」
「お、お前! それは狡いでしょう!?」
「狡いも何も……これは貴方のアーマーと一緒ですよ?」
「くっそ……」
頭の上で、自らの物より幾分か小さなトリガーが、見せつける様にゆっくり引かれていく。体の動きが封殺され、最早それを見ている事しか出来なかった。
「油断したのは、アズール。貴方の方でしたね。では――一発、お返ししますよ」
死の匂いが足元にまでせり上がってきた。彼の笑顔が目に焼き付きそうだ。ぎ、と爪で手のひらを引っ掻く。
トリガーが、かちりと音を鳴らす――その一瞬間前に、握っていた物を正面の胸元へ押し付けた。
「あ」
発砲音と、爆発音、そのどちらが先だったのかを知る前に、目の前が暗転した。
◇
「えっ、今のどっち?」
唐突な終わりに茫然とする二人をよそに、のんびりスナックを食べていたフロイドが袋ごと放ってテレビにかじりつく。未だ暗転した画面のまま、ゲーム機がしゅるしゅる音を鳴らして計測している。
誰も何も言えず、固唾をのんで待つ。そして、遂にぱっと画面が明瞭に光った。
「――は?」
映し出されたリザルト画面には、『アズール』でも『ジェイド』でもなく、全く知らない『マッスル紅』の文字が燦然と輝いていた。名前の通り筋骨隆々のアバターが、ぽかんと口を開ける三人へ手を振る。
「…………え、誰?」
思わず顔を見合わせる。次に表示された二位は、これまた見知らぬ『ネクラ侍』の文字と、長髪の愛らしいアバターが踊っている。フロイドは掴んでいたテレビからどさりと後ろに倒れ込んで、盛大過ぎる溜息をついた。
「二人でずっと戦ってるからぁ」
「いや、だって、普通に考えたらこいつを潰すのが先決でしょう! しかも、前やった時から随分と腕を上げていましたから……無視できなかったんですよ」
「そういうアズールも、随分練習していたようでしたね。僕としては、貴方を最後にしたかったのですが」
急に脱力して、いつの間にか汗まみれになっていたコントローラーを投げた。これだからオンラインゲームは、と悪態をつくと、部活の先輩が苦言を呈す様がありありと浮かんで余計に疲れてしまった。
「え~、今の結局どっちが勝ったの?」
「残念ながら、三位以下は結果が表示されません。ですから、永遠に闇の中、というわけです」
「はー、つまんねー」
放り出していた袋を再び乱雑に掴んで、フロイドは自らの口とジェイドの口にひとつずつ放り投げた。それからアズールにも視線を送ったが、小言を思い出して取りやめた。
「もっかいやろーよ。このまま終わんのきもちわりーし」
「そうですねぇ……アズールはどうです?」
ジェイドは放ったコントローラーをアズールへ差し出す。目頭が痛くて何度も瞬きをしながらそれを見て、暫し逡巡した後、受け取った。
「いいですよ。オフラインモードでやりましょう。また邪魔されては堪らない」
「ふふっ。ええ、僕もそう思っていました。流石です」
ジェイドもまたコントローラーを持ち上げ、リザルト画面を消してタイトルへ移行する。冗長なオープニングムービーを眺めながら、冷めやらぬ興奮に息をつく。横を向くと、爛々と目を輝かせたままの橄欖があった。
「あは。ふたりとも、ちょー楽しそう」
素直な言葉が宙に舞って、気恥ずかしさに咳を零す。それから、長いムービーを急かすようにボタンを連打した。
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