どんな栄養剤より

 

 カリカリ。トントン。ガリガリ。
 ペンで紙を撫でる音、革靴がフローリングを叩く音、細い手が髪を掻き混ぜる音。それらが断続的な合唱を奏でている。部屋の中心に座して優雅に紅茶を飲みながら、そんな音に少々の気まずさを覚え縮こまる。
「……アズール、少し休憩しては?」
「そんな暇があるとでも?」
 散々掻き回したせいでボサボサになった銀髪と、無理をし続け目の下に出来た隈が痛々しい。紡ぐ言葉は剣呑で、それ以上の追及を拒んでいる。ジェイドは大人しく口を噤んだ。
 段々と靴の音が大きくなる。苛立ちが顔に出ている。革張りの柔らかいソファが座りが悪い気がしてもぞもぞと居場所を探した。
 ティーカップとソーサーをテーブルへ戻す。かちゃりと陶器同士の衝突音が鳴り、一瞬だけ合唱が止む。ジェイドも硬直してしまう。しかし再開し始めた音は、少しだけ激しさを消した。
「……アズール、やはり僕は出ています」
「うるさい。黙ってそこにいろ」
 気まずさ極まった渾身の提案は冷たくあしらわれた。苛立ちが目に見える。紅茶は冷め始めている。並べられた茶菓子が皿に張り付いている。
 菓子類のラインナップを改めて確認していると、ふとペンの音が止んだ。アズールがじっと瞼の重い眼でジェイドの方を見ている。
「気に入りませんか」
 睨むような目線が菓子へ向かう。皿に並んだ洋菓子達は、ラウンジで提供した物の余り。美味しい保証は十分にある。ジェイドには、そこへの不満など無かった。だから首を振って否定を示せば、アズールの目が更に重くなる。
「なら早く食べなさい」
「いえ、でも……どうしても咀嚼音は出てしまいますし、気が散りませんか?」
「ごちゃごちゃ言わずに食べろ。こんな簡単な事も出来ない無能を招き入れた覚えはありません」
 トントン。感情に合わせて爪先が音を鳴らす。真正面から苛立ちを一心に向けられては、流石に堪える。仕方ない、とカトラリーを手に取れば、またペンを動かす音が始まった。
 ちらとアズールの顔を窺う。期日の迫った書類を血眼で処理している彼は周囲に気を配れない。感情の発露を上手くコントロール出来なくなる。今は、苛立ち。
 彼の選んだ銀のフォークで、彼の選んだケーキにメスを入れる。ごく軽い触感で切り離される切れ端を、改めて刺す。白いクリームが皿に落ちる。一口分だけ口を開けて、フォークでそっと放り込めば、舌へ優しい甘味が広がった。溶けていくスポンジに、小さく刻んだ苺がマッチしている。完璧だった。
 舌鼓を打ちながら、口を動かす。小さくなっていくケーキを見て、次のスイーツに狙いを定める。チョコレートでコーティングされた丸いクッキー。フォークを置いて指で摘む。鋭い歯で噛み切れば、さくりと良い音が鳴る。舌触りのいい生地が味蕾を刺激していく。
 次、次はと手を伸ばして、思わず綻ぶ表情を無視していれば、いつの間にか咀嚼音が部屋を満たしている事に気が付いた。
「あ゛〜〜……」
 がつん、と何かがぶつける音がして、アズールが呻く。腕でもぶつけたかと思い顔を上げると、ばっちり目が合った。
「あ……お邪魔でしたか?」
 急に恥ずかしくなって、クリームの付いた口元を舐めて手で隠す。誤魔化すように笑っていれば、アズールが額を机にぶつけながら突っ伏した。
「はぁ〜〜かわいい……」
 ぼそぼそとくぐもった声が腕の下から聞こえて来る。不明瞭で聞き取れず、思わず「え?」
 と聞き返せば、長い長い息を吐いて起き上がった。
 それからすぐにペンを手に取って、再び仕事へ戻った。スピードが大分上がっている。今の一瞬で休憩が出来たかのようだ。
「あの……」
「何度も言わせないで下さい」
「……かしこまりました」
 出て行きましょうか、と提案を思い浮かべたのが見透かされた。怒られるのは好ましくないので、従順に答えながら、紅茶を啜る。
 もう一度カトラリーに手を触れたら、金属音が鳴った。しまったと顔を上げると、またアズールと目が合う。
「…………」
 今や気まずさより気恥ずかしさが勝っていた。スプーンに持ち替える。いつもより小さく口を開けて、目の前のフロマージュを放り込んだ。

 

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