メーデーメーデー、さっさとくたばれ! - 2/4

 

 一等強い揺れを受けて、弓弦は身を固くした。急ブレーキを踏んだらしい。
 事故だろうか。そう考えながら耳を澄ますと、どうやら運転手が荒い性格であり、それが運転に表れているようだった。ぐちぐちと文句を言いながら、後部座席に座っていた人間が車を降りる。
 茨の言っていたパーキングエリアに到着したのだろう。通信で伝えようと思ったが、しかし弓弦から発信する術が無い。GPSで把握しているのだから、別に連絡を取る必要はないかと判断して、目を閉じて気絶したままの振りを開始する。
 エンジンを切った。運転席から一人、車を降りる気配がする。数歩の足音の後、ギッ、と蝶番の音がした。ぶわりとぬるい空気が流入すると同時、暗かった空間に明かりが差し込んでくる。
「俺がやっとくから、お前は先に奴らと合流しろ」
 低い男の声がしたと思うと、身体が浮き上がった。腹に掛かる圧力で、抱えあげられたのだと理解する。流石に持ち上げられるとは思わず面食らったが、すぐに持ち直した。扉を閉めるタイミングで、腕の力は分散し弱まるはずだ。そこを突いて逃げる。
 男が弓弦を抱えるのとは別の、もう一方の腕を伸ばした。僅かながら腕の力が緩む。その瞬間に、弓弦は渾身の力を込めて、縛られた両手を側頭部目掛けて振りかざした。
「おっとぉ!?」
「な……!」
 しかし、それは空を切る。絶対に避けられない距離だった。確実にぶつけられたはずの頭部は、ぐにゃりと軟体動物のように反った背中によって、今や弓弦の身体より下にある。
 長髪の男だった。その髪は触手のごとく動いて、瞬きをしている内に目が合った。さっ、と態とらしく逸らされた途端に、弓弦は思い切り顔を顰めた。
「何をしているのですか、日々樹さま」
「しー、執事さん。演じるなら演じ切りたいので、出来れば協力してほしいのですが!」
「その前に説明をして頂いても?」
「わあ、目が怖い。私は敵の一味ではありませんよ!」
 映像作品の如き満面の笑みを浮かべた彼は、では、と言って車の陰に隠れる。そこで、数時間ぶりに地面へと足が付いた。
 渉は弓弦を縛る布切れを解きながら、偽物の顔を破る。
「それで?」
「急かしますねえ。さすがの執事さんも、攫われるのは初めてですか?」
「日々樹さま?」
「……実は執事さんが攫われたと聞いて、居ても立っても居られず――」
「本当は?」
「英智の依頼でお迎えに来ました。元請けは別の方ですけどね」
 そういった渉の足元に、ぐたりとした黒服の男が一人伸びていた。はらりと切れ端のような布が落ちる。軽く手首を振って、可動を確認する。問題はない。それから渉に向き直って、ひとつ息を吐き、それから黒いハットを被るその頭に平手をかました。
「痛い! 私は助けに来ただけですよ!」
「そのついでに楽しんでいらっしゃいますね? それに、わたくしの為に危険を冒すのはよしてくださいまし」
 やれやれと眉間を揉む。すると、渉の方から笑う音が聞こえた。手の隙間から睨むと、渉はにっこりと笑顔を作った。
「では、彼は例外という事ですね」
「はい?」
「まあ。ほんの少し手を引くくらいはさせて貰いますね、私達は先輩なので!」
「うわっ……」
 急に立ち上がったかと思えば、また俵のように担がれた。咄嗟に長い髪の間に自由になった両手を隠す。颯爽と駆け出した肩にしがみ付く。
 遠目には黒服の集団が見える。トランシーバーを取り出して通話をしている者、周囲を捜索している者がうろついている。その内の一人と、目が合った。
 ザザッ、と耳元でノイズが走る。
「――あー、聞こえますか。どうやら日々樹氏と合流したようですね、そのままこちらで用意した車に移動して下さい」
「…………」
「……おーい? もう喋っていいのでは?」
「作戦変更です。気付かれました」
「マジ?」
「制圧します」
「は!? ちょっと待て、こっちの部下との合流が先――」
 騒がしいイヤホンを取り除いて胸ポケットに突っ込む。それから、隙を突き渉の腕からすり抜けて降りる。「Amazing!」という声をバックに、弓弦は車の陰を飛び出した。

 早々に弓弦の意図を察した渉はその場から離れ、人混みの方に逃げ込んでいく。それを確認しつつ、弓弦は木を盾にしながら敵を引き付ける。
 1、2……合計4人が釣れた。渉から引き剝がす事には十分成功している。しかし戻るには早過ぎる。このまま逃げ続けていても、応援を呼ばれると厄介だ。弓弦が移動を止めると、一定距離を保ち黒服達も動きを止めた。
 呼吸を止めて、3秒。息を吸う。背後の木の枝を折るなり、弓弦は駆け出した。足の裏をアスファルトに蹴り返される感触がする。
 近くにいた男はスタンガンを構える。目前まで飛んできた手首を捻って、すぐさま背後から頸を打つ。続いて伸びてきた鈍い光を枝で受け止める。ざくりと切れた枝が地面に落ちる。その反動で止まった動きを見逃さずに、腕をつかんで引き寄せ、投げ飛ばす。落としたナイフを拾って、間近に迫っていた男の肩を切る。痛みに呻いた隙に、そいつが持っていたスタンガンを押し付けた。
 ザザ、と聞き覚えのあるノイズが響く。もう一人の男がトランシーバーを手にしていた。その頸部を目掛け、ナイフを飛ばす。弧を描いたナイフは、真夏の太陽を反射して光った。
 柄が額にクリーンヒットし、どさりと倒れた男の手から、トランシーバーが落ちた。必死に応答を求める声が、段々とノイズにかき消されていく。近付きナイフを振り上げる。
「……る、弓弦! おい!」
 ノイズから一転、余りに明瞭な音声が叫ぶ。到達寸前で止まったナイフは、ガッ、と勢いで表面を削った。弓弦は眉を顰め、小さく息を吐く。
「こんな事まで出来るようになったのですか?」
「ええそうですよ、優秀な部下がいるもので! はあー……イヤホン外すのだけ止めてもらっていいですかねぇ!?」
「申し訳ありません、ノイズが酷かったもので」
「残念ながら現在の電波は良好ですね!」
 そんな嫌味を最後に、スピーカーからザザッとノイズが流れ出す。改めてナイフを持ち上げ、今度こそ振り下ろす。派手に解体されたそれは、完全に機能を停止させた。
 気乗りしないまま、ポケットにしまっておいたイヤホンを耳に寄せる。静かだった。折り曲げた指の関節でノックすれば、すぐさま微かなホワイトノイズがジリジリ聞こえてきた。
「……あー……生きてるんですね?」
「ええ、この通り無傷で」
「はあー……」
 ぎっ、と電波の向こう側で椅子が軋む音がした。だらりと体を倒す茨の姿が目に浮かぶ。
「もう少しで応援を呼ばれるところでしたよ。分かってるんですか?」
「ええ、そうでしょうね。茨が対処していなければ間違いなく」
「死にたいんですか?」
「いえ? あなたを信用しているだけですよ」
「…………嘘つけ」
 くぐもった音声に、思わず少し笑う。やってられない、とぼやく声と同時に茨のマイクは切れた。弓弦は周囲を見回して、それから見えた目立つ人影に手を振り、イヤホンを叩いた。
 実際、弓弦を捜索する段取りや、後を追うまでの動作を視認した瞬間から違和感があった。何故、自分があの集団に負けたのか。今、そのピースは目の前にぶら下がっていた。よって、確かに半分は嘘。しかしながら多少の無茶を通した、もう半分の理由は間違いなく。
「本当ですよ」

 ◆

 もうやっていられない。やってられるか。
 投げ出したい思考とは裏腹に、キーボードを叩く音が止まらない。とっとと見捨てろよ。そう思うのに、本能がそんな理性を蹴り飛ばすから、心はずっと休まらない。
 中継地点で待機していた部下から、合流完了の連絡が届いた。それから、どっと汗が噴き出すのを感じながら息を吐いて突っ伏した。
 死ぬかと思った。心臓が未だにバクバクと跳ねている。通信が切られた瞬間に、終わったと思った。勝てるなら最初から攫われたりするなよ。などと吐き捨てる相手も今はいないため、頭の中だけで悪態をつく。弓弦が負けるわけはないと知りつつも、一度負けた結果が今であることと天秤に掛け、血迷って用意された車両がESビルの立体駐車場に今も止まっている。
「……茨?」
 頭上から声が降ってきた。耳慣れた声にすぐさま身を起こして見上げれば、予想通り、凪砂が茨を見下ろしていた。
「これはこれは閣下、お疲れ様であります!」
「……うん。ええと……大丈夫?」
「なんと、ご心配頂けるとは恐悦至極! 自分、少々多忙で疲弊し舟を漕いでいただけなので平気で――」
「うん……そうか。やっぱり、重要なことだったんだね」
「……はい?」
 脈絡なく頷いた凪砂に、回り始めた舌が止まった。怪訝に彼を見れば、それを意に介するでもなく、得心した様子で佇んでいた。
「……今日キャンセルしたのは、茨がとても大切にしていた企業との会議だったから。どうしてだろうと、思っていたのだけれど」
「ああ……突然予定を変えて申し訳ありませんでした。ただこれは緊急でして」
「……うん。少しだけど、聞いているよ。英智君から」
 やわらかく微笑んだ凪砂の背後に、愉悦に笑う男の影が透けて見える。電話越しにもいやに明瞭なイメージだった事を思い返して、そうでしたか、と態と笑って引き攣る口角を誤魔化す。彼と対峙し依頼する側に立った際の”遊ばれている感”は尋常ではない。
「……彼は君の、大切な人なんだね。私にとっての、日和君のように」
「は?」
「……あれ、違った?」
 大切。そんな単語が聞こえた気がした。何の話か、すぐには意図を汲み取れずに口を開けたままぽかんとする。首を傾げる凪砂と少し見つめ合って、そして唐突に理解した。
「いやいやいや全っ然、違いますけど!?」
「……そう?」
「大間違いです、全く心外ですな! あんなもん、ただの腐れ縁ですよ、腐れ縁!」
 ふうん、と気の抜けた声音で凪砂は言う。
「……じゃあ、どうしてそれを優先したのかな」
「ええ、閣下の言いたい事は分かりますよ。本来ならば喜んで見捨てます! しかし今回は事情が違いまして! 長年の腐心がパーになった事は大っ変惜しいですが、実はこれがそれ以上の案件なのです! 自分は常にEdenの利益、ひいては自分の野望のためにしか動きませんので、お忘れなきよう――って、何を笑っているんです、閣下」
「……ううん」
 興奮気味に肩で息をする茨を見ながら、凪砂はふっと柔らかく、分かりにくく笑った。それから、ずっと手に持っていたメモ用紙を机に置いた。
「……これは?」
「……議事録。ジュンが取ってくれたもの」
「いや、……え? ああ……ありがとうございます……?」
「……案件の方は、私達で対処しておくから、大丈夫。茨も、頑張って」
 ぱたん、と軽い音を鳴らして、彼は部屋を出ていった。静かな嵐に巻き上げられ、最後に残っていった紙をじっと見下ろす。それは延期したはずの会議が、あたかも行われたかのような記録だ。じわじわと甘ったるくてむかついた。クソ丁寧に書きやがって。しかし口語が気になり内容が頭に入らない。
 凪砂の見透かした笑みが網膜から離れない。違う、そんなんじゃない。自分達のこれは、砂糖菓子めいた彼らの関係とは違う。血の味だ。ただこんなバカなことで死なせたくないだけ。本当は首を突っ込む必要などないのだから、手を引いたって良い、いつだって。最早これは、単なるプライドの問題。
 他でもない自分に言い訳をしている事に気が付いて、歯軋りする。それから止まりかけた頭を掻きむしって、再びモニターに向き直った。

 

4件のコメント

LU

原作の高校生離れしている設定が大好きなので、カーチェイスしたりバトルしたり謀略したりするシチュエーションが大好きです。映画を見ているみたいにかっこいい場面が次々想起されて、ドキドキしながら拝読しました!慇懃無礼なところ、二人の車内、弓弦の怪我を見て弱さを見せるところ、色々な表情の茨が見れて嬉しいです。二人以外の登場人物たちの描写もすごくよかったです。素敵なお話をありがとうございました!

返信
七篠空白

自分もほぼ大人のように描かれている姿が好きで、またアクション映画っぽさを意識して頑張ったので報われた気持ちです……ありがとうございます!

返信
HANA

ふたりが協力してこういうことをするというのが大好きなので読めて幸せでした!ありがとうございます!

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