メーデーメーデー、さっさとくたばれ! - 3/4

 

 膝の上で組んでいた手をほどいて、窓の外へ目を遣る。景色が映像のように流れていく。見慣れない土地で、なんとなく現実感がなかった。エンジン音も静かで、漸く落ち着いて椅子に背を預けられた。
「ラジオでも付けます? もしくは私の手品でも……♪」
「鳩は仕舞って下さいまし」
 小さな白い鳩がひょこりと助手席から弓弦をのぞき込む。その頭を指で軽く撫でてから、ふうと息をついた。渉はしょんぼりと口で言ってから、運転手へ手のひらから出した花を差し出している。訓練された茨の部下は、見事にそれを無視していた。
 先の通信を最後に、茨からの通話も途絶えていた。もう安心できる状態になった、という事であろう。しかし、どうにも記憶が飛んでいるせいか、嫌な感じが拭えなかった。何かを見落としているような。
 その時だった。バン、と強い衝撃の後、体が僅かに浮いた。咄嗟に窓の上部に備え付いた取っ手を握る。再び重力を取り戻して、座席に臀部を打ち付ける。
「おっと、これは不味いですね」
 窓から顔を出した渉が、ちょっと真面目な様相でそう言った。追って外を見れば、先ほどまで弓弦が乗せられていた白の軽バンが並走している。後を付けられていたのか、と思い至り歯噛みする。やはり全員制圧しておくべきだったか。
 そこで、イヤホンにノイズが走った。テレビの砂嵐と似ている。イヤホンに指で触れると、ブチッと通信が切れる音がする。またノイズだけが聞こえて、切れる。それを数度繰り返してから、やっとホワイトノイズに切り替わった。
「茨? 応答しなさい、茨」
「…………あー、あー! 来た! これ繋がってます!?」
「はい、聞こえています」
「こちらハッキングされた模様です、そっちの状況は?」
「どうやら後をつけられたようで、先程の車両に追われています。未だ県境突破していません」
「了解しました。クソッ」
 車両が迫ってきて、運転手がハンドルを切る。それに追い付いてきて、車体が接触する。削れる嫌な音が響いた。
「一旦どこかで撒きましょうか。あちらの路地辺りで」
 いつの間にか花も鳩も片づけていた渉が、眼下に見えた住宅街を指す。運転手は寡黙に頷き、素早く高速道路を降りていく。

 住宅街に突入して暫く路地を利用し逃げていると、再び茨からの通信が入る。
「端末は開けますか? 今から送る位置に移動して下さい、車を乗り換えます」
「なるほど。運転手の方へは?」
「既に送っています、が、途中で降りてくださいね。そちらは囮に使いますので」
「囮……。まあ……今は仕方がありません。従いましょう」
「どうもありがとうございます! では後ほど」
 ブチッ、とまた通信が切れる。今度は傍受を避けて元から切ったのだろうと推測する。つまり、ここからは自己判断。顔を上げると、渉が弓弦の手元をのぞき込んでいた。
「では、私はここで囮役をいたしましょう」
「いけません。ここは彼に任せて、わたくしたちは逃げましょう」
「でも私、一度化けてみたかったんですよね、執事さんに!」
 にっこりと笑ったその顔があんまりに純粋で、ああこれはダメだな、と悟る。そして、ESに鎮座しているであろう英智への謝罪の文言がいくつも駆け巡っていった。

 ◇

「今です!」
 自動スライド式のドアが開く。速度が少しだけ落ちたタイミングで、真横に座っていた、弓弦の瓜二つとなった男が背中を押す。軽くそちらを睨みながら、肩から落ちるよう体を捻じる。そして、車から飛び降りた。
 お元気で~!と叫ぶ声が遠くなるのを聞きながら、草むらまで転がった。暫し様子を見て、道路に車通りが無いことを確認し、すぐにその場を離れた。
 fineの先輩方は、余りにも戯れが過ぎる。こめかみを押さえ、気付けば痛みが止まっていた後頭部を撫でた。正確には覚えていないものの、桃李を庇って後頭部を殴打された事は容易く推察できる。実に失態。二度と繰り返さない為にも、鍛錬を続けなくてはと改めて思考した。
 そこで、端末が振動を伝える。目的地が近いようだった。送られてきたマップを開くと、六つの赤い点が打たれている。茨は特に何も言わなかったが、つまり攪乱のために六つの車両が用意されており、その内の一つに乗れ、という話だろうと理解している。そう思えば、むしろ渉が乗っていたあの車が一番安全とも言える、だろうか。
 壁に背を預けて、現在位置を確認する。一番近いパーキングは住宅地の最中だ。既に目的地が見えている。しかし、少し考えて、弓弦は踵を返した。妙に入り組んだ道から出ていくよりも、迅速に高速道路へ乗れる場所が好ましい。どうせ追いかけられるのであれば勝負は短い方が良いだろう。弓弦は高速道路直下の目的地へと走っていく。

 100円パーキングに停まっているESの車両を発見し、軽く窓を叩く。スモークフィルムの効果で中は見えづらいが、ちらとこちらを一瞥した運転手が、ドアを開く。
「失礼いたします」
 扉に手を掛けて乗り込んだ、その直後に車両が発進する。倒れそうになる体幹を、前席のヘッドレストを掴みバランスを保つ。どうにか腰を落ち着けたところで、シートベルトを装着した。
 もう少し冷静な運転を、と文句が言いたいところだったが、とりあえず現在は異常事態なので黙っておく。扉が完全に閉まったところで、無口だった運転手が、バックミラー越しに弓弦を見た。視線に応えるよう顔を上げると、やけに見慣れた顔が映っていた。
「…………なぜ、あなたが?」
「いやあ……まさか六分の一を引くとは思いませんでしたよ、弓弦」
 はあ、と思わず脱力してしまった。運転席からも、そんな様子で息をついているのが見て取れた。なぜだか、運転席に座っていたのは茨であった。

 ◆

 ESの社用車には、複数人を運ぶ事に特化したサイズのものと、小回りの利くサイズのものが用意されている。今回は後者のほうで、土地勘のない茨でも危なげなく運転ができるという手筈である。
「……そんなに人手が足りないのですか?」
 呆れたようで、その実、疲労が表出しているばかりの声が投げかけられる。ミラー越しに後部座席を見れば、弓弦には珍しく身体を投げ出して窓の外を追いかけているのが見えた。それもそうだろう、朝から戦闘して連れ去られて逃げだして、今は夕方だ。
「まさか。まあ、事情を知らせても良くて外部に通じていない確信が持て、今時間が空いていて運転が可能な人間となると少なかったわけではありますが」
「あなたの運転、怖いのですけれど」
「ご安心を。戦車に比べれば玩具みたいなもんですよ」
「教習の初端から上官を轢殺しかけた事は覚えていない、と」
「あんたが同僚を怪我させたのは覚えてます」
 狭い路地を抜け、大通りに出る。茨の指先が神経質にハンドルを叩く。さっとサイドミラーを確認して、信号が進行方向を指すと同時にアクセルを踏む。アスファルトの表面が凸凹になっていたようで車体が軽く揺れた。
「少し落ち着きなさい、荒いですよ。まだ高速道路でもないのに」
「もう合流しますよー」
「……安全運転を心掛けなさい、どんな状況でも」
 絶対に無理だ。内心でそう呟く茨は返事をせずに、バックミラーを一瞥する。真後ろの車両の挙動が先程から怪しい。運転手はずっと口を動かしており、何かを喋っている。恐らく、こいつに後を付けられている。
「教官殿」
「何ですか」
「振り落とされないよう、掴まってて下さいね」
「……ああ、もう」
 弓弦が空の助手席を掴むと同時に、ぐっとアクセルを踏み込んだ。傍から見れば、高速道路に乗り加速をしただけに映るだろう位置を計算した。すると、やはり後ろの車両も速度を上げてきた。メーターを確認する。ちょうど、法定速度を振り切る針を視認した。
「茨! 横です!」
「うわっ!? 危なっ……!」
 弓弦の声を聞いてハンドルを回す。車体を真横からぶつけようとしてきたらしい。真後ろの車両とは別のナンバーが見える。二台も追ってきていたのかと気付いて冷汗が伝った。
 すぐさまラジオを無線に切り替える。
「至急応援を! 国道××、県境直前!」
「茨、後ろの車両が迫っています! 速度上げられますか?」
「あぁはい、大丈夫です、あんたの許可が出たので!」
 さらにアクセルを深く、踏み込んだ。メーターはもう視界に入れない事にした。最早、それどころではない。ハンドルの自由は、まだギリギリ効いている。

 タイヤが平らな道路に擦れて、激しい音を立てている。安全とは口が裂けても言えない運転に、弓弦は体幹を利用しながら乗りこなしている。
 そんな暴走じみた運転に、二台の車両は喰らい付く。もうすぐ大カーブがやってくる。茨はハンドルを握り直し、アクセルを緩めた。
「……不味い、ハンドル切って!」
 そこで弓弦の鋭い指示が飛ぶ。すぐに適応しハンドルを切ってから、真横に迫る車両に気付いた。
「ぐっ、無理!」
「くそっ」
 ガッ、と表面が削れる音と衝撃が走る。遂に車体がぶつかってきた。そのまま、車両はこちらを圧してくる。ガードレールが近かった。
 茨はアクセルを踏み込み、押し返すべくハンドルを切り返す。再度激突し、更なる衝撃が車体を揺らす。力が拮抗し火花が散っている。弓弦は窓の開閉スイッチを弾き、薄く開いたそこに手を掛けた。
「茨、拳銃は?」
「あるわけないでしょう、この現代日本に! こちとら一般市民なんですよ!」
「仕方がありません、ではこちらお借りします」
 弓弦はそう告げるなり、助手席のヘッドレストを引っこ抜いた。そのまま、ゆっくりと開いていく窓の隙間へ急かすように腕を出す。窓が完全に開くと、振りかぶったヘッドレストを真正面へ投げ飛ばした。
 ガシャン! と大きな破壊音を立ててガラスを突き破り、ヘッドレストは運転手の顔面に直撃した。慌てて助手席の男がハンドルを握るのが見える。茨はその隙に横をすり抜けた。
 山間にクラクションが響いて、距離はどんどん離れていく。
「……さすが」
「腕は鈍っておりませんので」
 愉しげな笑みが目に映る。安全運転を説いていた割に、逸脱した思考への遷移が早くてアンバランスだ。すぐに居住まいを正す姿に、何を今更、とぼやきそうになった。
 車線変更を繰り返し前方の一般車両を避けながら、後続する件の車両からも距離を引き離していく。応援部隊が到着したとの通信が入り、助手席に置いていたスマホを後ろに放り投げた。
「GPSを確認してください、応援部隊の位置が来ました」
「数分前に過ぎたインターチェンジですね。今、高速道路に合流したようです」
「了解。少し速度を戻します」
 思い切り踏んでいた右足から、少しずつ力を抜く。バックミラーには、今のところ一般車両以外には映っていないようだ。ほっと息をひとつ吐いた。
「……茨っ! 停まれ!」
「え」
 いつかの運転教習でよく聞いた指示だった。反射的にハンドルを切るも間に合わない。ブレーキも、流石に一秒じゃ止まれない。
 数メートル先に、白の軽バンが止まっていた。
 

 
 絶え間ないクラクションがトンネル内に響いている。酸欠で覚束ない頭の中で延々と反響している。茨は眼前に広がったエアバッグを腕で押し返した。ひどく狭まった運転席のドアを、じくりとした痛みを無視して、力一杯蹴り飛ばす。強い衝撃でつぶれた車が揺れて、ドアは外れる。
 転がり落ちるように這い出して、隣接車線から迫る車両をギリギリで避ける。ボンネットに手を掛けて立ち上がれば視界がぶれた。脳が揺れている。それでも、と後部座席のドアにしがみついたら、丁度のタイミングでそれが吹き飛んだ。どうにか直撃を避ければ、中から弓弦が転がり落ちてくる。倒れ伏した地面に、赤色が広がっていった。
「ゆ、づる、弓弦……!」
 咄嗟に飛びついてその背を抱え起こす。後頭部から血が垂れているようだった。最初の傷口が開いたのだろう。映像で見た、赤い染みを想起する。全身から血の気が引いていく感覚と同時に、この身が心臓になってしまったような動悸を覚える。
 弓弦が死ぬ。思考がその一点に塗り潰されていく。弓弦を抱え、這う這うの体で道路の端へと辿り着く。力の抜けた弓弦の背中を壁に付け、心臓に耳を押し付けた。どくん、どくんと脈打つ振動が伝わってくる。
「起きろって、おい、弓弦」
 壁を伝って赤色が一筋、落ちていく。無意識に傷口を右手で押さえ、止血を試みた。じわりと熱が掌に移ってくる。
 複数の足音が背後に近付いている事に、そこで漸く気が付いた。幾つもの視線を背中で受け止め、息を止める。詰めが甘いとさんざ言われた言葉を反芻する。冷え切った頬にぬるい汗がぽたりと伝い落ちる。
「……大丈夫ですよ。俺はあんたと違って、自分が大事な最低野郎なので」
 後悔は後でいい。お叱りは地獄で幾らでも受けてやろう。短く息を吐き捨て、茨はジャケットの内側に左手を伸ばした。指先が冷えた鉄の感触を探り当てる。ゆっくりとグリップを握りしめ、親指で安全装置を外す。
 相手は銃を使わない。調査結果を見る限り、正体は見せ掛けのハリボテ――一般人の集団だ。だから弓弦は勝てなかった、手を出さなかった。その一点に賭けるしかない。
 視界の端で、投げ出されている弓弦の手がぴくりと動く。それに押されるように、固く掴んだ左手を、背後へと突き付けた。
「……えっ?」
 その照準の先にあったのは、予想と全く違う光景だった。

 

4件のコメント

LU

原作の高校生離れしている設定が大好きなので、カーチェイスしたりバトルしたり謀略したりするシチュエーションが大好きです。映画を見ているみたいにかっこいい場面が次々想起されて、ドキドキしながら拝読しました!慇懃無礼なところ、二人の車内、弓弦の怪我を見て弱さを見せるところ、色々な表情の茨が見れて嬉しいです。二人以外の登場人物たちの描写もすごくよかったです。素敵なお話をありがとうございました!

返信
七篠空白

自分もほぼ大人のように描かれている姿が好きで、またアクション映画っぽさを意識して頑張ったので報われた気持ちです……ありがとうございます!

返信
HANA

ふたりが協力してこういうことをするというのが大好きなので読めて幸せでした!ありがとうございます!

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